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水色の私でいたかった/深夜の雑談


ありきたりなハッピーエンドが欲しいな。つくられた物語にバッドエンドはいらない。事前にハッピーエンドかどうかを確認した上で映画をみたり本を読んだりするようになってしまった。悲しい話でも幸せな話でも泣いちゃうよ。知らない人であっても誰かが泣いていると泣いちゃうよ。誰かのために涙を流せます、なんて、一人でいるうちは何の役にもたたない特技。バッドエンドが耐えられない。せめて、架空の世界くらいハッピーエンドであってほしい。

「あなたの言葉が好き」それってアイラブユーで良かったのかな。誰にも見せられない弱いところがあって、それを見せたら多分嫌われて、絶対に嫌われたくないから、むやみやたらに「わたし」の分人をばらまいている。分人が増えて、どこにもオリジナルな自分がいない。ネットなんてやめた方が良いよ。でも、ネットをしてなきゃ出会うことはなかった。そんなものばかり集めて、少し遠いものほどキラキラしていて、現実にはドロドロした誰かの怨念の落とし物をうっかり踏んで歩けなくなってしまうなどしている。何もしていないのに心はどんどん疲れて、誰とも目が合わなくて、鏡越しに目が合った自分の目の奥はあんまり綺麗じゃなかった。

水色の私でいたい。水色の私でいたかった。空気とか水みたいに自然で、余計なものがなくって、誰の心にも刺さらないのに少しだけ清らかな気持ちになるような、そんな色でありたかった。優しい人が自ら「私は優しい」と言わないように、強い人は自ら「私は強い」と言わないらしい。涙腺ってどこと繋がっているのだろう。泣きたくもないのに息をするように涙を消化しているうちに、心のどこに触れれば涙がでるのか分からなくなってしまった。水色の私でいたかった。打算も下心もない、純粋な私でいたかった。先回りしてハッピーエンドを確信するような真似をしない私でいたかった。人を疑わず、バッドエンドでもまあいいかって受け止められる私でいたかった。人の本心にうっかり触れてしまった時に、立ち止まって動けなくなるなんてことせずに、見ない振りして立ち去ることができる私でいたかった。

不安だなと思うことはいくつもあって、でもそれを口にだしたところでどうしようもないのは分かっている。どんどん境界線が曖昧な世界になっていく。仕事と生活。自分と他人。生と死。夢と現実。リアルとオンライン。友達と友達らしき人。信頼と不安。絶望と「大丈夫」。どちらにでも転ぶことができる。でも、選ぶことが難しい。たくさん本を買って安心しようとしたけれど、たくさん胃に食べ物を入れて満足しようとしたけれど、たくさん壁に向かって話して疲れようとしたけれど、そのどれも一人芝居でやってらんない。みんなはどうやってこの孤独に耐えているの。ほら、こうやってみんな孤独に耐えていると思っているところが既にきっと違うんだろうね。あっ寂しい、と思った瞬間に頭をよぎるのは殿馬一人のこと。どうやって暮らしてたんだろうなあ。殿馬の、才能の中に垣間見える寂しさから目が離せなくて、きっとこの人が望んでいるのは周囲からの喝采とか称賛ではないのだろうなって感じていた。幼少期からずっとそう、そういう「ないものが垣間見える人」に惹かれてしまう。何でもできるのに寂しそうだよねって言ったら最高の笑顔を向けてくれた人がいた。完璧な笑顔は私を不安にさせる。もうあなたはいなくならないでいいのにな。きっといなくなるんだろうな。昔の映画を見ながら、もうこの世にはいない画面の中の人を見ていた。ああ、水色の私でいたかった。この「水色」を、もっと上手に、わかってもらえるように、伝わるように、言葉にできたら良かったのにな。今まで口に出したこと、どれだけの密度で相手に伝わったのだろう。そう考えたら何故かとても絶望的な気持ちになって、足元がひんやりとした。





ゆっくりしていってね