新たな人生行路〜うつろい〜
明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
実は昨年11月から長年住んだ大阪を離れ、ある場所に移住しました。
生半可な気持ちではなく本気で未来の生き方を模索し、この激動の時代を乗り越え生きていくと決意しました。
どういった経緯で移住まで至ったのかを綴りましたので、興味がある人はご拝読いただければ幸いです。
きっかけ
サァ…サァ…ァァァ…
心地良い風が肌をなぞるように通り過ぎる。
“69”号線から見える”三尾山”が荘厳で、ノスタルジックな田園風景が心を和ます。
近所の方は無農薬の新鮮なお野菜を沢山くださる。
村の人々は良い人ばかりで笑顔が素敵だ。
僕はその場所にいつの間にか誘(いざな)われた。
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確か6年前…
ガチャ…キィィィ…
「いってきます」僕は玄関の扉を開いた。
相方は「いってらっしゃい」の一言で、いつもと何も変わらない1日の始まり。
僕はその日何かに取り憑かれたように、大阪に鎮座するある神社に向かう。
「星田妙見宮」
きっかけは確か新海誠作品の「君の名は」で、映画の聖地かもしれないと噂される神社が大阪にあるというのを知ったところからだ。
当時はそんな理由で神社に参拝しに行ったことなど恥ずかしくて誰にも言えなかった。
御祭神も知らない
作法も知らない
歴史も知らない
何も知らない
それでも足を運んだ。
それからというもの時間がある時は事前にネットやGoogleMapで調べて、次の日には神社や山に足を運んだ。
中年のおっさんだというのにワクワクが止まらなくなったのである。
まるで小さい頃に兄とテレビで見ていた徳川家康埋蔵金の番組を見てるかのような感覚。
相方はそんな僕を疑問に思っていたはずだが、背中を押してくれてたように感じた。
普通ならそんなアホみたいこと言ってないで仕事をしろ的な事を言われるのが普通だろう。
そしてこの出来事から徐々に生活リズムが変わる。
あんなに夜遊びをし不摂生だったのが嘘のように減り、自然と自分の時間を大切にするようになる。
その後は日本の神話や歴史の探求をむさぼるように始め、どんどん未知なる世界が広がっていった。
もう一人の自分
よく考えれば小さい頃からファンタジーやミステリー、そんな世界観は大好きで脳内はそればかりだったはず。
大人になり頭カチカチになっていたから忘れていたが、この歳になりその感覚が蘇ってきた。
また僕が急にこういった事を探求しだしたもんだから周りがざわついてたのは知っていたが、小島よしおバリに「そんなの関係ねぇ」で僕は「おっぱっぴー」ではない。
基本的に僕は他人に興味は全くなく超がつくほど適当で、自己中心が故に嫌な顔されることも多々ある。
しかし何かにマインドが向くと、とんでもない集中力と時間をそこにかける良くも悪くも変態体質だ。
以前20キロ太ったが急に体重を落とす事に躍起になり1ヶ月ぐらいで元に戻した実績もある。
島根に帰った時は友人を誘って意字六社を巡ったりと、RPGゲームの謎解きのようで本当にワクワクしていた。
想像を創造に
そこから僕の想像は一気に膨れ上がり映像を作ると決意。
「美遊」
最初映像を作るため同級生の友達に相談した時は
「なんじゃそれっ」て言われて、
「でしょうねっ」と言ったな。
理解してくれる人なんて誰もいなかったが、それでも制作をする事に躊躇はなかった。
「レイライン」
世界に点在する古代の遺跡群が直線上に繋がる事をいう。
考えると不思議な話で、何百年何千年前の遺跡群が正確な測量術もないはずなのにピタリと直線上に繋がる。
明らかに現代以上のテクノロジーを駆使してるとしか思えないほど正確だ。
この軌跡を何故どのようにして作ったのか、それにはまず歴史を知る事とその地に訪れる事。
でないと理解できるはずもないし説得力もない
だから更に深い領域に一歩を踏み出した。
すると不思議な事に、この行動によって物事が思うように運びだしたのだ。
「運命」
運命を信じなければ「運ばれる命」になり、
運命を信じれば「運ぶ命」になる。
今は時代の狭間だが、自分の運命を信じればレイラインのように点と点が繋がりだし、それは未来の形になるかもしれないと悟った。
そしてどうにかこの行動を生活様式に落とし込めないか考えていると、ふとある事に氣づく。
それは遺跡の周りは必ずといって自然が溢れているのだ。いや古代の人々は自然がある場所に遺跡を作った。
「古神道と自然崇拝」
僕は”必然”と”自然”を追っていたのである。
ここから僕は都会の生活を離れコンクリートではなく、木々や草が生い茂る大地に囲まれる故郷のような町でもう一度暮らしてみたいと考えるようになった。
辺りを見回せば緑が溢れ、少し歩けば川のせせらぎが聞こえる。
鳥は自由に空を飛んでいて、夕日の光で影になるコントラストが最高だ。
遡ることで見えた暮らしと未来
時代の大転換期であると言われる令和は、大丈夫だろうと思われる僕のような仕事でもAIの進化によって10年20年後は間違いなく代替され、普通の生活さえままならなくなるだろうと確信した。
夢を叶え笑って生きていくにはどうするべきかを模索し、567禍は永遠マーケティングをしていた。
「古民家のポテンシャル」
この歳まで古民家なんて全く興味がなかったが、古民家での民宿やカフェなどのサービスを体感したら瞬く間に心を奪われいつもの如くハマってしまい
それしか考えなくなってしまった。
「移住計画」
僕はそのタイミングから移住をし、古民家で何か事業すると決意した。
姉がケーキ屋を営んでいたので大変さは知っているが、僕はそれでも挑戦してみたい。
というか僕は長年デザインの仕事をしてきたが、向き不向きで言うのなら不向きだと感じた。
とは言え生活をするには今は辞めることはできない
少しづつでもいいから自分のペースで柔軟な考えを持ち、新しい事業を構築していこうと思う。
島根で20年大阪で20年、そして次の20年を生きる場所は…
丹波市春日
「なんで丹波に移住するの」とよく聞かれるが、答えるのにいつも困る。
ここまで綴った内容を伝えればいいのだが、本当はそれだけではないのです。
このお話は僕と相方だけが共有できるとても不思議なお話なのでまたいつか。
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タッタッタッ…バタン…
僕は玄関の扉を閉めた「ただいま」
いつものように「おかえり」の声が聞こえてきた。
だが今はネオンの光ではなく月や星の光が僕を照らす。これからはこの場所が僕らの住む場所だ。
こんな時代だが不思議と不安はない。何故なら「一寸先は闇」ではなく「一寸先は光」。
僕らはその光の方向に歩くだけでいいのだから。
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