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私の人生を変えた【男の言葉】

人生を変えた言葉って、私の場合、
優しくも綺麗でも感動的でも高潔でもなかった。
そんな言葉をくれた男は、私の場合、
スイートでもラブリーでもなかった。

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「馬鹿か!オッパイが無かったらお前なんかただの女だろ!」

これは22~23歳の時、
この記事の【鴉(ブラックバード)】に言われた言葉。

その時代は今の様には胸の大きな女性は少なくて、
Fカップもあると奇異の目に晒されながら生きなければいけなかった。

ついポロリと、
「この胸、邪魔…。スケベな目で見られるし!ボタンも弾け飛ぶし
余計太って見えるし、こんなの無くなればいい」と呟いた時。

「馬鹿か?お前なんか美人でもないし可愛くもないし
それでもその胸があるから特別なんだろ?
お前から胸が無くなったらお前なんか“ただの普通の女”だろーが!」

目からウロコだった。
勘違いしないで頂きたいのだがこの男はとても素晴らしい男で、
何も【酷い事】を言ったわけではない。

当時40歳だった彼個人の目からすれば、
私は多分「若く可愛い女」であったであろうし、
私を「目の中に入れても痛くない」ほどに溺愛していた事は誰の目にも明らかだったし、その大きな父性と愛情は私にもしっかり伝わっていた。

その上で彼は「一般の目」からものを言ってくれたのだ。

「俺にとってはかけがえのない、とびっきりの可愛い女であっても
一般的にお前はさして大した女じゃない。
勘違いするな。お前がモテるのはその胸のお蔭であって、
お前にはそれ以外の魅力がまだ全く無い!!」
(※当時は珍しさの為か、巨乳ブームであった)

そういう意味であって、
そしてこれが彼の愛なのだと言う事は、若い私にも伝わった。

それから私は、自分のバストを忌む事をやめた。
「ただのブス女に【巨乳】と言う付加価値を付けてくれたもの」と感謝し、
それまで以上に有難く強調して存分に利用した。
(15で家出してから24歳の終わり頃迄、お水の花道を立派に歩み通した)

そして同時に、
【このバストは近い将来、確実に下垂し、ハリを失い、
小さいバストよりも明らかな加齢のシルシとなる!!
と言う事も覚悟した。

それから私は、自分の胸に役割とそれを表す異名を付けた。

「ねえ、そんなに大きいと肩凝らない?」
「肩凝るくらいなんでもないわ。
 これはね、私の大切な【カウントダウンタイマー】だから!!」

そう。ハリを失い、中身がユルいゼリーの様になって醜く下垂するまでに、
私は「胸が垂れていても抱きたい女」になっていなくてはいけない!!
その想いで若い頃を生きた。

勿論、オツムの幼い男は胸の垂れたババアには興味が無いだろうから対象ではない。
外身ではなくエネルギーを見る事の出来る素敵な男に、(レズ、バイも可)
貴女なら胸が垂れていても「抱きたい(抱かれたい)」と言わせる程の何かを、手に入れておかなければいけないリミット。
それが大きなバストがしおれてユルいゼリーの様に垂れる時!!!

私はこの【鴉】の言葉で、
自分の大嫌いなバストをまずは武器にし、
同時に危機感を忘れない為の戒めとした。

そして今。
ええ。私は自分のカラダを、よくこう言い表す。

【私?脱いだらたれぱんだよ!!】

はてさて。
今の私が「たれぱんだでも抱きたい」と思って頂ける女なのかどうかは
当の私には分からない。

分からなくていいし、「イラネ!」と言われても結構!!

私はこのカウントダウンタイマーのお蔭で充分な努力が出来たし、
【私の中の男】は私を抱きたい。・・・分かりやすく言うならば

【もし私が男だったら私を抱きたい!離したくない!愛されたい!】

そう言えるから充分だ。充分だ!

私はこんなにまで、自分に惚れる事が出来た。
「私なんて、デブだしブスだしトリエもないし…」
と言って居た若い頃の私がここまで言い放つことが出来る人になったのは
この【鴉】と、鴉の言葉と、Fカップのバストのお蔭だ!!

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【コレが出来る三十路女と出来ない三十路女じゃエラい違うぜ?】

これは25歳になるかならないかの時、
「ヤリ手」と言われて喜んでいた、ギラギラして無駄に見栄えの良い当時40歳の男に言われた言葉。

その直後、彼は会社での力を利用して私を自分の部署に捻じ込んだので、
少しの間私の上司でもあった。

さて。
「コレが出来る三十路と出来ない三十路」の【コレ】が何であったのかは
もう忘れた。思い出そうと何度も何度も試みたがダメだった。

しかしそれはどうでもいいのだ。

彼の口癖は【女は25過ぎたらババア!俺、ババアに興味ねぇ!】だった。

「みどるちゃん、いくつだい?」

「そろそろ25になります」

「おー、なんだ。そろそろババアか。でも俺、みどるちゃん好きなんだよなぁ。まぁ、25歳の誕生日までだけどね」

「それでも光栄です」

「みどるちゃんが25歳過ぎても生きていける方法教えてやろうか」

「是非」

「俺の女になれ!俺の女になるなら25過ぎても面倒みてやんよ」

「結構です」

「おー。そうかい。じゃあもう一つの道。俺の会社に来いよ。
 水商売しかやった事ないみどるちゃんには結構辛いぜ?
 だけど俺の会社に来て俺の下で働けば、
 XXXXXX(これが思い出せない!)が出来るようになる。
 コレが出来る30女と出来ない30女じゃその後の人生がエラい違うぜ?」

嗚呼。本当にXXXXXXの部分が思い出せないのだが、
二度言う。それはどうでもいい。

この、
「〇〇が出来る◎歳と、出来ない◎歳はエラい違う」と言うものの見方を私は得たのだ。それのみで良い。

彼はバブル世代の男で、
その時代の成功体験で培われた彼の思想そのものを崇拝してしまっては、
これまでも生き抜いてはこられなかったし、これからもそうだ。

ただ、
「コレが出来る30と出来ない30(コレを持つ30と持たない30)は違う!」
「コレが出来る40と出来ない40(コレを持つ40と持たない40)は違う!」

こういう意識が、あの頃の私を今の私に育て上げた。

大嫌いだったよ、あのバブル男。
無駄に見栄えが良くて、キザで、「根拠あるナルシスト」で、
女を見下していて、さ。

でも、彼に出会わなければ私の年齢に対する【危機感】はもう少し薄かったかもしれない。

彼のこの言葉は、
二房の「カウントダウンタイマー」がユルいゼリーとなって役目を終えた今でも役に立つ!

【コレが出来る50と出来ない50はエラい違うぜ?】

私は今日も自分にそう言ってやりながら、
とても速く過ぎ去るであろう50歳への時間を生きている。

大嫌いだったけどね、あの彼の事。
たった数年後には、【恩人】だと思えてた。
今でもそれは変わらない。

50代だった頃の岩城滉一さんみたいに、
カッコイイおじさまになっているかな。

「女は25になったら価値はねぇ!」なんていう性格さえもう少し違って居たら、「俺の女になるか?」の誘いに乗りたい程に見栄えは良かった!

40を過ぎた今、「40歳もまだ幼い」と理解している。
彼もまだまだ幼かっただけなのだ。

きっと今頃、「女は40過ぎてからだぜ?50女もいいもんだよ」なぁんて。
さらっと言っちゃう男になっていそうな気もするよ。

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【これが貧乏の連鎖って奴なんだな】

これは25歳の後半に、
当時の恋人だった自称投資家(27歳)の男に言われた言葉。

私は小さな頃から、母方の祖母から知らぬうちに洗脳されていた。

「女の人生は男次第!金持ちで、言いなりになる男を選べ!
 オラは馬鹿だったから、金持ちを選ばなかった。
 それで貧乏になって苦労した。
 いいかい?顔で飯は食えないんだよ。金持ちだったらいいんだよ。
 お前の母親も、貧乏男を選んでとっても不幸になってるだろう?
 お前だけは馬鹿をやってはいけないよ。
 ばあちゃんや母ちゃんの様に失敗してはいけないよ!
 男は金!!顔じゃない!わかったね!!」

祖母の事が大好きだった幼い私はすっかり洗脳されてしまった上に、
【顔がよくて金持ちだったら尚いいじゃん!】と、
「顔はどうでもいい」の部分まで書き換えてハードルを上げた。

機能不全の家庭で育った私は恋人への依頼心が強く、
「俺が面倒を見るから何でも頼れ」と言ってくれたこの恋人に頼り過ぎた。

彼とは遠距離恋愛で、その時の私は丁度職を失ったばかりだったのだが
彼は月に一度必ず私に数万円のお金を送ってくれたので、
それが当たり前になり、その金ありきの生活になった。

彼は本当は良くない事だけれど「長4定型封筒」に万札をそのまま入れて
切手を貼って投函していた。

ある時、本当にそれが届かずに、次のデートで切り出した。

「ねえ、届かなかったの」
「マジか」
「うん。困っちゃう」

彼は「現金書留で送らない俺も悪いけど」と言いながら財布を出して、
抜いた数枚の万札を私に差し出しながらこう言った。

「これが世に言う貧乏の連鎖って奴なんだな。
 だから貧乏な友達は全員切ったんだけど…
 女で失敗したか、この俺も……」

この言葉を聞いた瞬間、
祖母の洗脳が解けた。

「言いなりに金を出してくれる男が居れば女は幸せ」

その教義はガラガラと崩れ去った。

お金貰えるけど、私幸せ?
「俺の失敗」と言われる女で、私幸せ?

数秒、息をすることも忘れてフリーズしていた。

「なんか…なんか…なんか…言えないけど…
 なんか…なんか…目が覚めた。
 有難う、今までごめんなさい。そのお金、要らない。
 これからも、もう要らない」

そう言って私は、その金を受け取らなかった。

数ヶ月後。
私はweb関連の仕事でなかなかに稼げる女になっていた。

勉強と仕事に明け暮れて、彼からの連絡に応じる事も少なくなっていたけれど、数ヶ月後のある日、私は意気込んで待ち合わせ場所に向った。

久しぶりに会った彼は、以前とは違って見えた。
以前の様に自信ありげにも見えなかったし、
大きくも見えなかったし、格好よくも見えなかった。

「何やってたの」

「私チャットで鍛えていたから、タイピングだけはすっごい速いのよ。
 だからまずはメールレディ(出会い系サイトのサクラ)で、
 業界の伝説になる!と言われるほど頑張ったの。荒稼ぎしたの」

「うん?」

「そうしたら、サイトのシステムに不満が出て来て、
 口を出すようになったの」

「例えば?」

「メールの一括送信はサーバーに負担がかかるし時間もかかるし
 効率的なようでそうじゃなくて。
 一定の条件を満たした会員だけに絞ったらそれが解消されるから
 条件検索出来る様にした方がいいとか…さ?」

「へぇ・・・で?」

「システムへの不満がいつの間にか熱い興味となっちゃって、独学で…
 CGIとかPHPとか…いじれるようになって…。
 MTの設置とかも出来る様になって…」

「ごめん、わからん」

「それで、そういうので、お金稼いでる。
 あ、それでね!」

ここで私はバッグの中から用意してきた封筒を取り出した。

「今まで貰った額と、お礼の分、入ってる。
 貴方に【貧乏の連鎖】って言われて、目が覚めたの。受け取って」

「手切れ金?」

「違う!そんなんじゃ・・・」

「いまさら言ってもアレだけど、本心じゃなかった。
 貧乏の連鎖とか、酷い事言った。本当に悪かった!
 封筒が届かなくて二倍出さなきゃいけない事にイラついて、つい…。
 本当に俺、思ってないんだ、そんな事。
 お前に金やるの、本当に嫌じゃない!!悪かった、ごめん」

「何言ってるの!私は言って貰えて良かった!
 貴方のお蔭で目が覚めた!
 貴方のお蔭で私、水商売以外で初めてこんなに稼いでる!ありがとう!」

「悪い…。慰めにならん。厭味にしか聞こえん。だって別れるんだろ?」

「うん…。私、男に頼らず立てる様に生きなおしたい」

「結局やっぱり利用されただけなんだな、俺」


彼は今でもあの私の感謝の言葉を、
私の「厭味」だったと思って居るのだろうか。

そうだとしても、私はあの日から今日まで、
彼があの言葉を発してくれた事への感謝を忘れた事が無い。

ありがとう。お蔭で私は【貧乏】を連鎖させる女にはならずに済みました!

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もっとあるけれど、今日はここまで。

私を変えた「男の言葉」は、
決して耳心地良い言葉では無かったし、
「やさしぃ~💗きゅぅ~~~~ん💕」なんてものには程遠い。

人によっては、「ひっどぉ~い!最低!きずついたぁ~!」
なんて事も起こり得る言葉かもしれない。

でも、【どうしようもない馬鹿女】だった若い頃の私が変わるには、
「君はそのままでいいんだよ。可愛いよ。愛してる」
なんてヌルくて歯の浮く様な言葉じゃダメだった。

嫌いな人ほど、自分にとっての天使(天からの遣い)だったり、
嫌な言葉にこそ【ギフトと祝福】が隠れているものだ。
見つけようとするならば。


(もう40過ぎたし、
 出来れば若くて可愛い男子に
 甘い言葉でヌルく甘やかされる人生のご褒美が欲しいです!!😜
 だけど【あまったれんな未熟者!!】と、神様が思うのであれば
 どんな苦難も試練も嫌な言葉も歓迎して精進します、これからも!!!)

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若くて綺麗な女達よ。

その美と若さはいずれ無くなる。

若くて元気な男達よ。

その勢いと若さはいずれ無くなる。

そして恐ろしい事に…

【それでも人生は続く】のだ!!

続いて・・・しまうのだ。

だから。

嫌な言葉にギフトを見出しながら生きてください。

老いた自分に感謝される様な生き方で。
どうか今を生きてください。


私も死に際の自分に感謝される生き方を日々続けて参ります。



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