恥かかされたわ(汗 ②
どんなことを話していたか、忘れてしまった。
🐣「?」
日焼けにより触覚が敏感になった肌で感じ取った、マダムらの会話の雰囲気は、そこはかとなく覚えている。しかし会話の内容に関する記憶が、悉く零れてしまった。跡形も無くなっている。どうしたものか、どうしたものか。
あのー、話題変えます。
昨日と今日を隔てるものとは、あくまで私にとって、なんなのだろう。(言葉が一人歩きし読者に不用意な自省・後悔を引き起こす可能性を憂慮して、私が、愚にもつかない感興を、個人的に深掘りしたいだけだという意思を表示するべく「あくまで」という限定を催した)
試みというかなんというか、前回までの書記形態と趣を異にして、今回の記事を執筆するにあたって、電子辞書内にインストールされている類語辞典と二人三脚で言葉を紡いでいる。意識的に類語辞典を用いているのではなく、オフライン生活主義の副次的な産物として、結果的に類語辞典を多用する流れとなり、意図せず、辺幅を飾る文言を散布させる仕儀となってしまった。
🐣「ずっとやかましいんだよなあ、」
辺幅を飾る、わたしも勿論のこと多くの読者にとって聞き馴染みのない言葉だと思う。類語辞書引きの産物以上でも以下でもない。くにしげに言語を撫で回す癖があることは否めないが、この頭脳に抱える豊富な語彙をある時は剣に、ある場合は盾にとって、他人を見下し優越感に浸ったり、雄としての弱さ、繁殖する生命としての脆さを他者に衝かれまいとする節も無いことはないが、辺幅や簡粗、恬として等の前記した語彙は、類語辞典に頼らず、わたしの頭とキーボードの予測変換のみを頼りに文字を打っていたならば、登場し得なかった。あとこれだけは言わせて欲しい。
私は、あなたに、信頼されたい。
寄り道の行き着く先を言ってしまえば、本稿において、聞き馴染みのない語彙がたびたび登場しますが、そのことと、わたしの言語能力を結びつけて、優位にある、と軽い嫉妬に乗じて憶断するのではなく「くにしげは、下手の横好きに、言葉をこねくり回す趣味があるんだな」と、ある種の侮蔑を持って、また一方で愛情を持って、軽はずみに、私の言葉に耳を傾けてほしい。そんなところだ。
そして、あなたの声を、聞かせてほしい。
🐣「さむいな」
閑話休題。
例のマダムらの会話の雰囲気を、どう伝えれば良いだろうか。話中に飛び交った文言を正確に記憶しているのであれば、それを会話形式に並べて、雰囲気を想像する足がかりを置くことが出来る。叶わない。とある一点、わたしが恥をかくに至る起点を除いて、交わされた文言を、全て、忘れてしまった。
🐣「恥かかされた話だったわ、そいえば」
時間が無為に過ぎてゆく。どうすればいいんだぁ。ああ、わからない。わからないよぉ!
その時のわたしは、とても疲れていた。さんざっぱらプールで遊泳した。経営が心配になる程客足が少ない瀟洒な革製ソファあるファミレスで、トランプゲーム「大富豪」を延々とした。挙句のことだ。からだを使った、頭を使った。そして時刻は22時。ねむい、ひりひりとした肌の痛みがひっきりなしに走る。
「ねえ、ほらすごいでしょ!」
右隣のマダム2人組が、1日の終わりに似つかわしくない活発な声で、楽しげに言葉を交わしている。わたしは、リュックサックを胸に抱え、俯いて眼を瞑っている。特段不快に思うこともない。疲労から、こころの動きが鈍っている。
「ほら、ね!すごくな〜い」
「うんうぅん」
「ほ〜ら、だからいったじゃなぁい」
「ねぇ〜、ほんっとに」
「「あはははは」」
「あの人のこと聞いた?ほんっとにもお」
「ねえ?」
「難しいからね、まあ、よね」
「でもぉ」
言い換えれば、だいたいこんなことをほくほくと語り合っていたと思う。
「そんなことよりさ、これ合ってるの?」
わたしの耳に、隣接するひとりのマダムが発したこの言葉が、とりわけ響いた。聴覚をたよりに起きたことを察するに、なぜだかわからないが、先までは相方に身体を寄せて声を発していたのに、この言葉ばかりは、私の方を向いて発せられたらしい。
不可解だ。わたしは、俯いたまま、そぞろに、目を開く。
言葉の輪郭がふち取られる。マダムは、画面の明るいスマートフォンを左手で持っていた。その画面には、電車の乗り換え案内が表示されていた。私の愛用しているアプリだったのですぐに分かった。
それから少しの間マダムらの会話を盗み聞きして、言葉の真意を掴むに至る。どうやら、マダムらは、電車の上り下りの分別をつけることなく、出発間際の列車を見るやすなわち、急いで乗り込んでしまう習性があるらしい。それゆえ、彼女らがただいま乗っている列車が、目的地に向かって進んでいるのか、逆方向に進んでいるのかわからなくなり不安になったため、自然とこの言葉が発せられた。
「そんなことより、これって合ってるの?」
そういう意味があった。
「すいません」
はい。
はい、とわたしは返事をした。
飲食店で接客業のアルバイトをしているため、なにか物を尋ねる素振りがある人間や、直接ものを尋ねてくる人間と出くわすと、まるで電燈のオンオフ状態をスイッチひとつで切り変えるように、アルバイターとしての態度が瞬時に露出してしまう。
マダムが、わたしに、話しかけてきた。
我ながら、とても丁寧な、はい。という返事をしたなと、少し後になって恥じらいを覚えながら感心混じりに思った。
恥の話は、まだ終わらない。
◯
続
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