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もうどうでもいいの 吹き飛ばそう

岡山の若きアーティストである藤井風さんの「kaerou」という曲に次の言葉がある。

“ あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう ”

その前後に「かえろう  全て流して忘れてかえろう」的な文がきて、そして

“ 憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう ”

とくるのだ。
何度も確かめるように聴いて、魂が抜けるようなため息をついた。


いわゆる「毒親」によって幼少期に何かしらの傷を負い、大人になっても苦しむ人がいる。
大人になって分かったことは、どうやら自分もその一人だということ。
何が毒だったのか。幼少期の事を具体的に思い出してみたが、途中で気分が悪くなってやめた。
それぐらい酷いことをされたとか、そういう事ではない。
ただ奥深くしまってあるものを引っ張り出すのはえらく労力が要るのだ。
引っ張り出したものを元の場所にしまうのもまた大変だった。

人生の節々で重たいソレの置き場所を変えたり捨てようと試みてきたが、
とにかくはっきりしていることは、私と母は最初から違う世界を生きていたということ。
母は彼女なりに私を愛していたが、その一部が呪いや鎖のようになっていること。
母は ”安心できる存在 / 穏やかな場所“ ではなく、
いつだって”切り離せない交渉相手 / 長期化した戦場“だったということ。

そして私は7歳の娘を、当時の自分のようにはさせまいと誓っているということ。


ここまで育ててもらったことにはもちろん感謝している。
その感謝に反するみたいで、母のことを思うたびに何処かで罪悪感が湧いた。
だが30歳を過ぎて、やっと、それは全くの別物なんだと気がついた。

だから踏み出そう。今度こそ自分の世界に。

あの歌のとおり、

“ あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう ”

当時得られなかったものがあるなら今得ればいい。
違う世界で、違う形で手に入れればいい。

“ 憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう ”

余計な荷物は捨てて、身軽に世界に飛び出そう。
もっと世界が見たいから。
そして、生きている喜びを知りたいから。

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