社会が良くなる方法
コロナ自粛期間以来の、6ヶ月ぶりの投稿です。
あれから仕事に復帰し、若年層にほぼ死者が出ていないことから、また切り替えて仕事を頑張っています。
最近印象的な質問をされ、暇があればそれについて考えています。
「社会はどうあるべきだと思う?」
職場の男の子が就職活動をしているタイミングで、OB訪問的なもので偉い人と話す機会に質問されたそうです。
ミドリさんならどう答えますか?と言われて、その時は難しいねってはぐらかしました笑
数週間越しに回答するなら、
「みんなが信じ合えて、自由に生きられる社会」と答えます。
抽象的ですよね。
抽象的で伝わりづらい時は、真逆の言葉にして噛み砕くと捉えやすいです。
「みんなが信じ合えず、不自由な社会」
今ほんとうに、こういう社会だと感じてるんです。
信じ合えない
信じるとは?何だか怪しい話になりそうですが笑
ひとことで言うと、隣人愛のことです。アガペーです。(怪しい)
技術の進展、経済の発展とともに、より便利で効率的なものが好まれ台頭してきたと思います。必要不可欠以上のことはしない。朝、支度をし家を出て、電車に揺られ、社内の人にのみ挨拶をし、忙しいし億劫だからランチは一人で食べ…関わる必要のない人とは関わらずに一日は終わります。
電車で乗り合わせる人って基本的に他人同士なので、信頼度が低いと思います。
例えば自分のおばあちゃんと電車に乗ったら、100%席を譲りますよね。
それが知らないおばあちゃんになった途端、私たちは躊躇います。
何でだろう。愛がないからだと思うんです。
何で愛がないんだろう。その人のこと信じていないからだと思うんです。
「このおばあちゃんだったら喜んでくれる。楽になってくれたらそれで十分だな」って、なかなか赤の他人に思えないですよね…
でも、そういうふうに思えたら、とっっっっっても生きやすくなると思うんです。
電車の例で言ったら、「お腹痛いので座らせてください」とかも気軽に言えるようになる。
学校では意味のないいじめは無くなる。理解できない個性を理解しようとする。
職場では上司が部下全員に期待をかけて育てるし、部下も上司の立場を思いやって物事を考えられるから、トラブルも少ない。
隣の家からの赤ちゃんの泣き声も愛しく感じる。
夜中に騒ぎ声がしたら「楽しんでいるところごめんなさい。もう寝るので静かにお話してもらえますか?」って素直に言いに行ける。大家さんを介す必要なんてない。
考えるだけでほっこり、温かい気持ちになります。
(もちろん、信用度が高いからこそのリスクもあると思いますが…)
ほんとうに、こういう世界になったらいいなと思っています。
その手段として、サードプレイスが役立つといいな、私の手で人々の生活が豊かになるといいなって。
▼私の夢、サードプレイスの運営
いろんな人の理想について聞いてみたいです。
起業している方々はこういう発想から新しいことを始めているのかな?
皆さんも一度考えてみてください。
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