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掌編『羽のない鳥たち』

 鳥たちに嫉妬しながら、あの日、私は練習場の隅で一人泣いていた。中央で騒ぐ人々を尻目に、しゃがみ込んだまま動かずに。心臓の鼓動が速く大きく波打って自分自身を揺らす中、私は空を見上げて呟いた。「もっとうまく飛びたい」と——

 積年の研究開発により、人類は重力に逆らうことに成功した。様々な利便性が向上する一方で、フィギュアスケートのように、選手たちが自ら楽曲をセレクトし、それに合わせて空中を舞い踊るスカイアートが流行りはじめた。スカイアートとは、無重力発生装置が開発されてから、空に憧れ、空を愛し、空に魅せられた人類が最も叶えたかった〈空を飛ぶこと〉という夢をスポーツとして実現させたものだ。
 今日は東京の特設会場において世界大会が開催される。日本代表選手は全員で五名。行われるのは女子シングルフリーの種目である。無重力発生装置は舞台上に設置され、安全を期するためにアンドロイドたちがスタッフを務めていた。 五万人もの観客が見守る中、私たち選手は華やかな衣装に身を包み、一列に並んだ。拍手喝采を浴びると、それぞれが控え室に戻ってゆく。トップバッタ―は二十歳になったばかりの私だった。努力に努力を重ね、日本代表という地位を勝ち取った私は、この日、自信を持って演技に臨む。セレクトした楽曲はバッハのG線上のアリア。昔から聴かれ続けてきたこの曲は、私の得意とする幻想的なパフォーマンスに見事にマッチした。持ち時間は約五分。この間、私は鳥になることを許される。
 準備を終え、緊張の糸が切れた時、私は颯爽と舞台に足を踏み入れた。どよめく観客たち。楽曲が流れると同時に、スタッフは無重力発生装置のボタンを押した。私は離陸する飛行機のように上昇し、空中で止まると静かに踊りはじめる。表現したいものは〈悲しみ〉だった。  

 幼い頃から父はこのうえなく優しかった。私が一人っ子だったのもあるかもしれないが、欲しい物があればすぐに買ってくれたし、学校でいじめられた時には、すぐに駆けつけて教師に抗議をしてくれた。一番の楽しみだったのは、週末にスカイアートをやりに連れていってもらうことだった。子供用の施設ではあったが、上達する度に父は飛びっきりの笑顔で褒めてくれた。 大好きな父だったが、唯一大きな欠点があった。ギャンブルだ。それが原因で父は母とよく喧嘩をしていた。傍観するだけで何もできなかったが、喧嘩がエスカレートして父が家を飛び出すと、私の心は大きく傷付いた。しばらくすると父は笑顔で帰ってきた。両手に抱えていたのは大きな袋。中にはお菓子や玩具やジュースなどが山ほど入っていた。どうやらパチンコで勝ってきたらしい。 私は、「お父さんすごーい! お菓子食べていい?」と言ってはしゃぐ。すると父は笑顔のままで「もちろんだよ」と頷いた。しかし母は終始無言を貫いていた。この時、私は予想することができなかった。近い未来、ギャンブルで大負けし、多額の借金を背負うことになる父の悲惨な人生を。  

 いま、空を飛んでいる。ちらっと観客席を見ると老若男女からなる様々な人々が私の一挙手一投足を見つめている。この中に父はいるだろうか。そう思うと、胸の高鳴りは増すばかりだった。私は二十メートルほど高く飛びあがったまま、空中で三回転し、手足を翼のように羽ばたかせる。ふわりと広がった青いスカートは空と一体化し、陽の光と共に人々を魅了する。まるで空間を支配したかのように身体をしなやかに動かしていると、ある想いが心をよぎった。
   
 中学にあがった頃、両親は離婚した。大好きな父と離れ離れになるのは辛かったが、裁判で母が親権を獲得したので、従うしか他なかった。以来父とは一度も会っていない。私は、愛というものの正体を突きとめるべく、スカイアートの中に答えを探しはじめた。しかし、毎日練習するには高額の無重力発生装置がなければならない。現に母と二人で貧乏生活を続けてきた私は、週に数回行われる学校の授業でしか練習することができなかった。 そんな或る日、大きなチャンスが舞い込んだ。中学二年の時、スカイアートの練習をしていると、授業に招かれた特別講師に才能を買われ、無償で練習場を自由に使える権利を得たのである。人一倍負けず嫌いだった私は練習に練習を重ねて、いつしか誰よりも華麗に舞うことができるようになっていた。それでも愛の正体は分からなかった。生きることが辛い、生きることが苦しい。心を無理に満たそうとすると、孤独が追いかけてくる。そんなジレンマを抱えながら、私は毎日練習に勤しんだ。辛い時はいつも心の中で叫んだ。「お父さん、お父さん」と。  

 私はこれまでに培ってきた全てを演技に込めた。鳥のように羽ばたき、雲のように浮揚する。飛んでいる最中は心地よくて、様々な痛みを忘れることができた。 いよいよ楽曲が終盤に差し掛かった時、私の視線はある人物を捉えた。幻、或いは酷似した人かもしれないが、確かに見たのだ――観客席から手を振る父の姿を。
「お父さん!」私は思わず叫んだ。続けていた演技を止めてまで。
 その時だった。
「サナ! がんばれ!」 はっきりと聞こえてきた声。紛れもなく父の声だ。私は視線を元に戻し、演技を続けようとしたが、身体が言うことを聞かない。それでも私は涙をこぼしながら何とか最後まで頑張った。バッハの曲が終わると同時に、私は空中でポーズを決めて静止した。観客席からは、まばらな拍手が聞こえてくる。 舞台に着地すると、無重力発生装置は切られ、いつも通りの重力に戻った。私はジャケットを羽織って観客席まで走る。じろじろと不思議そうな顔で見てくる観客たちを他所に、父を探し回る。しかし父の姿は何処にも見当たらなかった。 そうこうしているうちに演技の得点が画面いっぱいに表示される。その数値は、言わずもがな、自己最低得点だった。当然だろう。途中でよそ見をしたり、演技を止めて泣きじゃくったりしていたのだから。  

 翌日のことだった。世界大会男子の部を見学し、帰宅すると、郵便受けに一通の手紙が入っていた。母宛の速達便で、差出人は、伊吹悠――父方の祖父だ。一体何があったというのだろう。まだ仕事から帰らぬ母を待てなかった私は封筒を開けた。次の瞬間、私は目を丸くする。父が死亡したというのだ。しかも〈一昨日バイクでトラックに正面衝突しての即死〉と書かれてある。では、昨日スカイアートの演技中に見た人物は誰だったのだろう。あの優しい眼差し、あの髪型、よく着ていた臙脂色のスーツ、叫び声、どれを取ってみても父としか思えなかった。 「嘘でしょ……」独り言が漏れる。 私は早速、祖父に確認の電話をすることにした。いざという時のためにデバイスの住所録に祖父の電話番号を登録してあった。私は動揺する心を必死に抑える。数回の呼び出し音が鳴ったあと、電話は繋がった。
「もしもし、サナですが」
「サナちゃんか。久しぶりだなあ。聞いたよ、世界大会出たんだって?」 「それよりも、手紙見ました」私の手は震えていた。「――お父さん本当に亡くなったんですか?」  
 一瞬、間があったあと祖父は、 「うん……バタバタしてすぐに連絡できなくてごめんな。それに大会前に知らせたら演技に支障をきたすと思って。武広……いや、お父さんはいつもサナちゃんのこと気にかけてたよ。毎日のようにネットや雑誌でスカイアートの特集みてたし、応援してたっけな……」 と、しゃくりあげながら言った。
「そう、なんだ」
「サナちゃんにはいつも辛い想いをさせてばかりでごめんな……」
「ねえ、おじいちゃん」私はゆっくりと深呼吸をする。「お父さん、昨日、観に来てくれてたんだよ。手を振って大きな声で応援してくれてた。得点はかなり低かったけど、あたしお父さんと一緒にがんばったの」
「武広が……」
「うん、本当だよ」

 沈黙のためには時間が必要だった。それでも前を向いて日々スカイアートの練習を続ける中で、私は以前より強くなったように思う。
「回転はもっと自然な感じで!」
「はーい」  
 母は以前より積極的に練習を見守ってくれるようになった。父の葬儀を終えてから、親としての自覚が増したのかもしれない。 それにしても、なぜ人類は重力に逆らうことができるのに、他者からの引力には逆らわず、孤独を埋めようと寄り添うのだろう。答えが出ないまま、今日も私は父と作った思い出たちと一緒に、この大空を舞い踊っている。

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