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金暎淑キムヨンスク(三島滞在まとめ)「川という鏡を持って生きる」

改めて旅を振り返ってみる。この7日間、自分の気持ちを優先して生きられる、とても貴重な時間だった。この間、私に関わって下さったすべての方、そして家族に、心からの感謝を伝えたい。
9年前に子を産んでから、自分の時間を持つという事はほとんどなかった。昼間はもちろんの事、眠っている間にも、息が止まってやしないか、異変はないかと、繊細な命の隣で、常に気が尖っていた。自分の事はいつだって優先順位を下げて、それに相応しいと思える結果が出ないと、怒りと悲しみが溢れかえったりもした。もちろん、一人では味わえない幸福感は計り知れないが、もはや一人の時でさえ、自分が食べたいものも選べなくなっていた。それに加え、ここ数年の在日コリアンとしての息苦しさが重なり、自分の言葉が見つからない、そんな日常だった。

自分の言葉がなければ、創作活動などできるわけがなく、何か違う方向へ進みたいと思い、動き始めた時に、このMAWに出会い、三島へ来た。

7日間の滞在で、美しい、楽しい、優しい、面白い、ありがたい、を何度も体験した。そして、その感覚を呼び起こす由来や根拠に、どこまでも思いを巡らせることができる、とても贅沢な時間であった。それは、このMAWというプログラムが持つ、自由さのおかげだと思う。そして、三島という土地の、現代の都市でありながらも昔に近い、自然に近い街であるという特性が相まって、私の心に作用した結果だ。


旅が終わる朝、毎日歩いた川をもう一度歩きながら、気づいたことがある。
そうか、この川は、ここに暮らす人々の鏡なんだと。
川が自分の庭であり、生活の、暮らしの中にある分、そこに住む人は丁寧に暮らさないと、それは川にすぐ反映される。良いところも悪いところも。
だから、ここに暮らす人々は本気で動いているのだ。
夏には蛍が飛び交う環境が保たれるよう、川周辺の草の刈り方について市にかけあう人がいたり、季節ごとにやってくるトンボが減った理由を探って勉強会を開き、やはり水辺の草を刈り過ぎているという原因を探りあて、草の根的に改善していく人もいた。



今回のホスト、シタテの山森さんが運営するゲストハウスgiwaやコワーキングスペースクロケットには、単なるスペース提供の場に終わらない仕掛があちこちにある。その一つ、毎日1時間だけオープンするgiwaのバーでは、三島を一時訪れる人が三島暮らしの面白さを味わえたり、移住者同士や地元の方との繋がりができたり、欲しい情報を得たり、とにかく色んな機能がある。こういった仕組みと、そこに集う人々の魅力が、三島への移住者が急増している理由になっていると思う。

(お寿司屋さんを改装したバーカウンター、宿泊者が書いた小さな木のタイルが敷き詰められている)

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三島の未来を作る人をつくる場所、みしま未来研究所という場所もある。そこができるまでのストーリーも、とても面白い。みしまびとプロジェクトという、一つの映画を作る事で、街おこしを行うプロジェクトが立ち上がり、出来上がった映画は、本場ハリウッドのユニバーサル多文化映画祭でグランプリを受賞という、夢のような出来事を現実にしたという。その映画作りの拠点となった場所が、みしま未来研究所なのだそうだ。

とにかく、面白い人々が暮らしていて、そういった人たちに会いたいと思えば会える場所が直ぐそこにある。

そんな土地で、「老いをアップデートする!~対話で探る老いの多様性~」という座談会を開催したことは、とても面白い体験だった。

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殆どの方が、知り合い経由でお越しいただく中、お一人、私が前日に貼った張り紙を見てお越し下さった方がいらっしゃった。70代の土屋さんだ。ちょっと不安だからと、娘さんも誘ってきてくださったのだが、その勇気に感激した。私や旅人の自己紹介が終わり、最初に彼女が発言してくれたことで、この座談会の流れを作ってくださった。
続く同じ世代の榊原さんがおっしゃっていた、老年に対する「ほどこし」は受けたくないというお気持ち。これはとても頷けるお話だ。私も福島で311を経験し、一時期は避難者住宅へ入っていた時がある。この時に感じた「施しを受ける、可哀そうな私」という構図。これはあらゆる関係性で発生しうる問題で、助け合いの関係に上下が生じないように、常に気をつけなければいけないと思う。
また、若さを羨み老いを恐れる私とは対照的に、教師という職業が故に若さへの偏見を経験し、それを克服したおとぎ話のような体験を聞かせてくれた中村さん。老いがなぜ怖いのか、外見や身体の衰えが増えるほど中身の豊かさが問われるという、身の引き締まる真実を語ってくれた石井さん。大学院に在学中の中村さんは、年を重ねた人の等身大の生き方に対する敬意を、何者かになりたい自分と向き合いながら語ってくれた。また、年齢が上がるほど、こういう場に男性が参加しないという坂井さんの鋭い指摘に対して、その理由と克服点を代弁した高橋さんに、社会の中でこぼれがちな存在に対する優しい眼差しを感じ、希望を持てた。
一人一人のお話は、どれも共感できたり、新しい視点をくれたり、中には子供の頃の自分と向き合うきっかけをくれたりもした。
19人の参加者それぞれが、個性豊かな思考と体験とを持ち合わせた存在であることの実感。その19人が一時の時間を共有することで出来上がる場の空気と、体験として残る記憶。これらはそれぞれの生活の場に持ち帰られ、何かしらの作用をおこすのだと信じている。少なくとも、私にとっては大きな作用を起こした。
(余談だが、体質も変わったような気がする。なぜか、旅が終わってから食べ物の趣向が変わった。元々は異常な甘党なのだが、急に甘いものを欲しなくなった。)

ところでnote5日目に書いた、自分の生きる時代背景を変えてみる遊びの続きで、私の現時点での答えを出してみる。私は巫女だったのではないか。巫女は代弁者として人に何かを伝え、時には怒りも買う・・・
巫女は神の声や死者の声を聴き伝える者として、また占いもしたというから自然や偶然の発する声も聴いたのだろう。私の今のテーマである対話とは、まずは、声を聴くことだ。なんかしっくりくる。

そう考えると、一つ自分のこだわりから抜けられそうだ。いつだって、目に見えないものを可視化しようと、心の引っかかりを追いかけて来たのだけれど、追いかけて出す答えが、目に見えるカタチじゃなくても良いのかもしれない。
巫女に似た存在である古代ギリシャの女預言者は、言葉を介するもの、という意味から「メディアmedia 、中間にあり媒介するもの」とも称されたという。現代アートは同時代性を読み解くメディアだと思っているので、やはり、根幹的な役割は一緒だなと思う。
まずは発せられた声を聴くことが、今の私にとっては最も重要な事で、その声をどう伝えるか、最適な方法はその声によって違うのかもしれない。

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(三島広小路近くにある三島七石の一つ、市子石。市子とは巫女の事)


そしてnoto5日目にも書いたけど、アートプロデューサーの橋本誠さんは興行師兼、薬売り。そういえば橋本さんには色々な場面で助けて頂いた。対立構造についての意見を話し合う時、何方にも偏らない共感力で、多分、反対意見の人も気づかないような根底の心理を見ていて感心し学ばせてもらった。また、私の(無意識の)言葉のトゲを直ぐに見つけて抜いてくれたり、弱気なところに喝を入れてくれたり・・・とても有能な薬売りさんである。

では坂井存さんは何者だろうと考えてみる。
・・・仙人のようだ。
坂井さんを見た人は、すごい神通力を目の当たりにする。私は、一日目にして、目を開けられ、今の自分の生が、余命であることを知った。これは、言葉だけでは伝わらない。存さんの表現を通して聞く言葉だからこそ、命の危機の後に感じられるような、余命の実感がある。しかも・・・命の危機は体験しなくてもいいのだ!

それにしても、老いというテーマと向き合い始めたばかりの48歳の私と、48歳で突如表現活動を初められ、そのテーマを背負い続ける坂井さんとが、同じ旅人で出会う。
Noteの7日目にも書いたけど、こんな風に出来過ぎた出会いが、随所に散りばめられた旅だった。

最初に書いた、川という鏡についてまた考えてみる。私にとっての鏡はなんだろう。やはり自分の作品だ。それが見たくて、今までやってきている。
でも、鏡は本当はもっと身近なところにあって、見ようと思えば見れるのだ。
ただ、鏡の見方を、その存在も、私たちは忘れてしまう。
そんな時は旅に出ると良い。
どこでも良いけど、三島をお勧めする。

最後に、MAWという経験は私に何をもたらしたのか。Noteを毎日更新するという小さな課題は、今となってみれば、言葉を発することに臆病になっていた私にとって、自分の言葉を取り戻す上での、一つの通過儀礼となった。私は、旅というイニシエーションを経て、たどたどしくも自分の言葉を取り戻したようだ。

金暎淑キムヨンスク