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吉原中央カルチャーセンター「MAW滞在+αまとめ」

最後のMAW滞在受け入れが終わり1ヶ月、やっと筆をとり(アーツカウンシルしずおかの皆様、ごめんなさい!)受け入れの前後についての振り返りと、このタイミングだから書ける後日談を書きます。「吉原中央カルチャーセンター(YCCC)」の瀧瀬彩恵です。

受け入れホストになった経緯

滞在した旅人の日記にもたびたび「吉原中央カルチャーセンター/富士AIR」と出ていますが、MAWウェブサイトやnoteのマガジン冒頭に「ホスト:特定非営利活動法人 東海道・吉原宿」と記載があることに気づいた方々は混乱すると思うので少しご説明します。

YCCCは前身「富士AIR」として瀧瀬と田村逸兵の2名により今年4月に発足したユニットです。
メンバーの田村は地元が富士で、吉原商店街内で飲食店「Bird -old pizza house-」を経営しつつイベント企画運営の仕事にも従事しています。地元住民として色々な問題意識を持っていて、それを「問題提起」するには文化芸術が必要と考え、AIRを立ち上げたいという思いをこれまで持っていました。
瀧瀬は本業では編集・執筆・翻訳に従事しています。公私で表現に携わる人々との関わりも多く、首都圏だけではない場所に文化芸術拠点を立ち上げ活動することが次につながるのではと考えていたところ、田村と志が一致し、富士AIR発足を機に東京から富士へ今夏移住しました。

「物理的なアーティストインレジデンス(AIR)拠点を作る前に、実績を作ってしまおう」と二人の私費投入により、これまで各種企画や制作のための視察受け入れ・コーディネートを行ってきました。結果的にAIR以外に、富士市内および文化遺産としての富士山の魅力を探求する企画も含むことになったため、現在の名称に落ち着いています。

発足当初から、静岡で文化芸術活動をするのであれば、もちろん将来的にAIRを本格始動するのであればMAWに応募しないわけがない!と考えていました。ちなみにMAWを知ったのは2021年度に伊豆稲取に滞在していた友人 内田涼 の日記を読んだことがきっかけでした。

本記事を書くにあたって応募用紙を見返したのですが、どうやら「団体定款」がないと応募できないと勘違いしていたようです。そこで普段からお世話になっていた「特定非営利活動法人 東海道・吉原宿」のお名前をお借りして応募することになりました。ちなみに同団体の代表鈴木さんが運営する14Guesthouse Mt.Fuji は旅人全員の宿泊場所にもなりました。

富士市吉原商店街周辺でMAWを行う意義

富士市全体を見ると、自然豊かなエリアもある一方で、海沿いを中心とした工場エリア(特に製紙工場)や郊外都市的な風景もあります。吉原商店街はシャッターのおりた店舗や水商売のお店も相応数軒並び、日中は決して「常に賑わう場所」とは言えませんが、特にここ3-7年ほどは新陳代謝を感じる新規出店もちらほらと散見されます。吉原は特に東海一の祇園「吉原祇園祭」もありタウンプライドがひときわ強い場所。「自然に囲まれた非日常でインスピレーションを」という方向性のAIRが多いなか、そんな「富士市吉原商店街周辺」だからできる滞在体験があるとYCCCは仮定しました。

そもそもYCCCは《人、街、風土といった「地域資源」と表現者の関わり合いから、新たな表現や視点を創出しお互いの魅力を引き出す》ことを標榜しています。

富士に限らないさまざまな場所で、鑑賞行為に留まらない「多分野にまたがる複雑性」「未知を知るきっかけ」「対話」を含む文化芸術体験も時に必要ではないか、とYCCCは考えます。例えばRui Yamaguchiの日記野口竜平の日記にも富士市の教育や産業などに関する懸念が書かれていましたが(事実、これは議会等でも話題に挙がっているトピックだそうです)アーティストはこういったネガポジ様々な事柄について気づくきっかけや、接続し得ないと思われたことを接続して形にしてくれる存在です。地域住民の日常にあったものを「未知の新しいもの」として引き出し、出会い直させてくれる人々といえるでしょう。

そしてアーティスト自身も、ふだん囲まれているものごと ー 例えば作品や自分自身の説明の作法、慣れている手法、その基にある前提など ー から強制的に離れざるを得ない状況に置かれるだけで十分「非日常」にあり、日頃の制作の前後左右を見直したり、次に向かうためのヒントを見つけることができるのだと思います。美術館やギャラリーが首都圏ほど身近でない人々や、そういった人々が多い状況と対峙することで、アーティストからも引き出されたり、自覚するものごとがあるでしょう。

1週間というごく短期間で具体的な成果物も求めず、しかし「地域住民との交流機会」を設けることを条件とするMAWは、地域住民にインパクトを与えることはもちろん、旅人が出会う場所やものごとと関わる態度や方法を見事に炙り出す恰好のプログラムだと思いました。情報過多でパンクした良い頃合いで滞在終了するので、「また来ます!」の約束をせざるを得ないような、確信犯的企画。そして「富士市吉原商店街周辺だからできる滞在体験がある」ことも証明されたと感じています。

野口竜平 滞在にまつわる色々

今回はつくづく旅人×ホストのマッチング、そして富士市の地域資源との出会い方が奇跡的だったと感じている。その中でも特筆すべき点をいくつか。

特に旅人全員に街案内をしてくださった久保田豪さんの大活躍なしには語れない。簡単にご紹介すると「街の歴史好きな物知りさん」で、私たちYCCCとしても色々と勉強させていただきたい気持ちもありご依頼したのだが、久保田さんのアーティストへの関わり方もさすがだった。
野口竜平のポートフォリオやオリエンで話された内容を事前に送ったところ、現在進行形のプロジェクト「蛸みこし」に竹が使われていることに着目し、竹染めの技術を持っている東海染工株式会社につなげてくださった。素材については全く意識が行っていなかったので着眼点に恐れ入りました。久保田さん、ありがとうございました!

東海染工での見学の様子

野口竜平は共通の友人も多く、彼らからは「竜平くんは絶対に何かをやらかしてくれるからね!」といった趣旨のポジティブな前評判を聞いていた。
「やらかす」つまりどう放っておいても予想の斜め上をいってくれることだと期待し、案の定というか期待以上だったというか。びっくりするほど、過ごした先々で「めいめいの繋がり」が生まれていき、彼の作品スタンスそのものだと思った。「芸術探検家」という肩書きのとおりに躊躇なく未知との遭遇を受け入れ、むしろ招き入れさえする彼は理想的すぎるほどの〈旅人〉だった。彼がいく先々に立ち会った時、一回たりとして同じ自己紹介をしなかったのが印象的だった。

蛸とたけのこのかき揚げそばで盛り上がった「いわいち」にて

Rui Yamaguchi&していいシティ 滞在にまつわる色々

一方のRui Yamaguchiとしていいシティ安藤智博は、偶然同じくKDDI総合研究所のリサーチメンバーとして活動しており滞在前から顔見知りだったそう。オリエンの時点で「これを吉原でやります」という目標が明確だったので、ほぼそのまま内容を交流会として組み立てた。
*「商店街は平日夜にイベントを行うと集客が難しい」という野口さん交流会の反省をふまえ、最終日前日(平日)ではなく滞在中盤の日曜午後に設定

成果物が求められないゆるいMAWとはいえ、野口竜平の「流れに身を任せながらも主体的に遭遇する」さまを見ていただけに、目的を持ちすぎることには懸念が生まれた。ここに滞在に注ぐエネルギーの最大ボルテージの照準を合わせていくのでは、と(これは予想的中?)
だから本人たちにどう響いたかは定かではないが、交流会直前に「目的から外れたところに起きることを、目的に回収していけるといいですね」と伝えた。旅行でも出張でもなく、旅とは多分そういうものだから。

また、していいシティが標榜する「デザインリサーチ」という概念自体、非常に前提共有を要するものだったため、「ホットサンドを焼いて食べる」というキャッチーなRui Yamaguchiの方をあえて前面に出して告知した。ホットサンド焼き器「バウルー」はブラジル発祥であることと、富士にはブラジル人コミュニティがあることをつなげ、知人のブラジル人Rafael Santosさんに依頼し集客やポルトガル語翻訳を協力いただいた。

していいシティには「デザイン・アート・都市開発・リサーチ」どの界隈にも行けてしまう未完成さゆえに潜在する可能性がたくさん見えたし、本人も説明のための言葉や方法をたくさん模索しているように感じた。滞在後にそれまで取っていた「お気に入りの場所を瓶詰めする」というフォーマットを大きく変更したらしく、MAWはとても大きな影響をくれたと話していた。ヒューマンスケールで余白やほころびの詰まった場所に溢れた「今」の吉原商店街も彼にとってドストライクだったよう。

Rui Yamaguchiは「手法に興味がある」と言っていたとおり、今は対象をじっくりリサーチすることよりも方法をどう実行するかに興味があるらしい。正直、掛川からギャルが来た日は大大やに行った以外に富士にも吉原にも何も触れてないし、めっちゃ寝た日もめっちゃ寝たなりに吉原とふだんの自分の制作視点を繋げて何かないのか!と今も歯痒く感じてるほどだが、これも「作家の性格と制作と生活を一致させたい」という本人の目標への答えの一つなのだろう。

街の人の反応

していいシティ、Rui Yamaguchiは交流会でしか地域住民と関わっているところを見ておらず、自ら知らない人に話しかけていくような感じはなかったようなので、これは野口竜平に限って書いてしまうことなのだが
本人も書いていたが(そしてこれまでも色んなアーティストを引き連れて紹介してまわったり、移住者である自分自身も思うことだが)吉原商店街の人たちは、表現者ならではの「むずかしい込み入った」話題もじっくり相手の目を見てよく聞いてくれる人が多いと改めて感じた。しかし野口竜平のくるくると人によって変わる自己紹介の言葉選び、ものがたりの運びはさすがで、時に「アーティスト」であることも脱がなければ辿り着けない交換があると思った。

していいシティ、Rui Yamaguchiの交流会に関しては、「駐車場のエントランス」という絶妙な場所を使えたことで「商店街を使いこなす風景」を目撃できたのが主催者ながら嬉しかった(ちなみにこの駐車場のオーナーさんはBirdが入居するMARUICHI BLDG.1962も所有している)おそらく、「ホットサンドを焼く」ということ以外聞いていなかったであろう参加者の皆さんもホットサンドを手に入れる前に「あなたのhomeは?」と聞かれてちょっとびっくりしただろう。「お気に入りの場所を瓶詰めする」なんてもっと新鮮だったと思う。結果、あまり情報を伝えなかったしていいシティのWSは特に子どもたちに評判で、「アート」「デザイン」といった言葉を冠しないことで響くこともある、ということを再認識させてくれた。

交流会を開催した駐車場のエントランス

後日談

野口竜平とはその後、「蛸みこし」の活動アーカイブの編集サポートをさせてもらっている。今後も作品制作において密に協働を重ねる関係が続いていくはず。蛸みこしだけでなく、「富士市を演じるワークショップ」も、たとえば行政のかたなどを巻き込んで実施できると嬉しい。

Rui Yamaguchiは、現在調整中だがとある企画を吉原商店街で実施する可能性が出ている。

していいシティはつい数日前にアーティストの友人4名を連れてBirdにピザを食べに来てくれた。山梨県河口湖周辺でアーティスト主体のある企画を立ち上げており、そこから私も気に入ってる富士市内のオルタナティブスペース「フジヤマ道場」のイベントにも寄ったついでに来てくれたのだそうだ。ふらっと遊びに来てくれる関係性、しかも文化芸術に関わる若者を芋づる式に呼び寄せる構図、そこで巻き起こるアーティスト同士の真剣な会話がとても嬉しく、私たちが見たい理想の景色のひとつだと思った。

今回滞在してくれた3名にとって、富士市・吉原商店街にとって、しいてはより大きな枠組みにとって、MAWという稀有な取り組みが実りを生むことになったと願います。