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IZAIZU「Reprise MAW〜大室山山焼〜」まとめ

3月1日〜7日でマイクロ・アート・ワーケーションのプログラムを全て終えて、五日後の3月12日。なんと、旅人・おきなお子さんが再び伊豆半島に帰って来ました!!

MAW6日目にお引き合わせした子鹿社・田邊詩野さんと静岡市葵区の書店・ひばりブックスで待ち合わせしたそうです。

2021年設立の子鹿社にとっても初の出版物「ねこおち」。その出版を記念した個展をひばりブックスで開催中。画家・伊藤千史さんの世界観を満喫し、お二人で伊豆半島に帰って来ました。

なぜ旅人は再び伊豆半島にやって来たのか。

肉的な見える世界でいうと、大室山の山焼きを見るために伊豆半島にやって来た。霊的な見えない世界でいうと、自分の内面にある心の声に従い、身体が素直に表現して、行動によって見たい現実を作り出した。

意識が衝動を捉え、未来を描き始めました。

大室山リフト青木氏の計らいでお鉢焼きへ。

心の在り方は生き方にそのまま現れます。しかし、我を知り自分の内で語りかける声が聞こえなくなった大人たちは、その違和感に気づきません。

野花が美しい輝きを放つのは、地面の下で根が張っているからです。目に見えるものは、実は見えないものによって支えられているのです。

大室山の山焼きは700年の歴史があると言われてる。

大切なのは人が何をどう思うかではなく、自分自身が何をどう思うか。人の評価を気にして表面的な部分をいくら繕っても、本質を見ている人には捲れてしまいます。

自分の心の声に嘘をつけば、自分自身を大切にしてない事になります。つまり、自分自身を愛せず赦せないから、周りを愛し赦すことも出来なくなるのです。

誇り高き池地区の地元愛。その愛は訪れる旅人にも惜しみない。

疫病や戦争の知らせが届き、天変地異や飢饉の噂が聞こえてくると、地位や名誉、富を優先した人生を選んだ人は恐怖と不安に支配されます。すがるご利益信仰は全く役に立ちません。

火消しのヒサカキ。火から身を守る刺子半纏は分厚くて重い。

見えるものを追いかけ過ぎると、代わりに大切なものを見失います。恐怖と不安に支配された人の執着は、かえって希望を遠ざけているのです。執着を手放してあげると、必要に応じて足りる分だけやってきます。信用創造は信頼の上に成り立っているからです。

花火の合図でお鉢焼きがはじまった。肌に感じる熱気、焼き尽くす焦げ臭、天高く聳える大煙。

自分を愛し赦すには、自分が愛され、赦されてることを知る事です。自分を開放してあげるとき、ただただ目の前にあるものが愛おしくなります。

大室山を下山。全山焼きを見るためにさくらの里へ。

己の弱さを受け入れる時に、人は本当の意味で強くなれます。弱い自分と向き合う時こそ、大いなる存在が抱擁してくださることに気付かされます。

突風で飛び火する時もあるそう。備えは万全だ。

都会で生まれ育った私が東京と伊豆半島を往来する関係人口でいるのは、寄り添ってくれる伊豆半島に呼吸を合わせたいからなのだろう。

情報過多のコンクリートジャングルにいると、どうしても大地の呼吸がぼんやりとしてしまいます。相対的に知覚すると意識が変わり、見える世界が変わりました。特異類まれな伊豆半島に魅力を感じる一面のひとつです。

全山焼きはさくらの里から全景見渡せる。

きっと、旅人さんたちも受け取ってくれたでしょう。期間が終わっても新造真人さん、おきなお子さんとは交流が続いてます。私たちのマイクロ・アート・ワーケーションはまだ継続中なのです。

20分程で山焼き完了。春の新緑が楽しみです。

最後に、旅人にまっすぐ向き合ってくれた伊豆半島の皆様。そして、かけがえのない出会いのきっかけとなったアーツカウンシルしずおかに感謝を申し上げます。

この活動が一過性の消費ではなく、シナジーを生む活動に繋がることをアーツカウンシルしずおかに期待します。

また伊豆半島でお会いしましょう。


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