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荻野NAO之 【伊東市 day3】 「大地と海と植物と」

また朝となった、3日目である
私は、子供のころ、気が付いたらメキシコ合衆国にいた
旅人コロンブスが勝手に新大陸を発見したと自分勝手なことを言ったかの地は、別にこの旅人がはじめて発見したのでもなんでもなく、約2万5千年前には偉大なる旅人モンゴロイドが真発見をしていた

新発見と嘯いた旅人コロンブスの口にしたといわれる次の言葉も、旅人モンゴロイドの生き方とは真逆なのではないかと思われる

「航海することが前提であり、生存することが前提ではない」

旅人モンゴロイドは、生存するつもりで、もしくは生存のために、新天地に勇気をもって分け入っていったのではないかと私は思っている
「旅」という漢字が形象している、氏神を祭る旗を掲げて覚悟を決めて祈りながら進んでいく姿、それが目に浮かんでくる
「旅人」としての私も、どこかに僅かでもこの気配を身にまとって、生きる「旅」をしたいと思う


旅人モンゴロイドが北緯40度の今の北京の辺りまでたどり着いた約50万年前ごろ、旅人伊豆半島は海の中から隆起をはじめ、陸地を広げていった

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今日私がであった海の中の小さな小さな岩の島の旅人を目にした際、私の中では伊豆半島の創世記が目の前でVRのようにして繰り広げられた…

かわいた地があらわれ、陸ができ、海も生まれた創世の気配が…いつしか実を結ぶ木などの植物が生い茂っていった気配が…

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私は3歳のとき、スペイン語もまったくわからないまま、メキシコの現地の幼稚園という見知らぬ海にポツリと一人佇まされた(私の中の最古の記憶はメキシコの地のもので、生まれてから3歳まで暮らしたはずの日本の東京都杉並区の記憶は浮かび上がってきたことがない)

その時、私は前後左右どの方向に歩んだらいいのか分からなかった
言葉も分からず、地理も分からず、どちらの方向に歩くことになるのかもわからなかった

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旅人として大先輩の伊豆半島は、やはり海の中で、急に現れてしまった時、このような佇まいに直面していたのかもしれない、自分が島であることも知らず、まさか将来他の大きな島に突き刺さって半島と呼ばれることになろうとも、植物をふんだんに宿すことになろうとも、思いにもよらなったことだろう

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このことは今朝、伊東自然歴史案内人である歴史の旅人の方にお出会し、膨大な時間の流れの中の伊豆半島のお話を伺っていた時にも、ふと考えたことだった
歴史など、何かの成り立ちを耳にする際、どこかで自分の成り立ちや自分の身近なものごとの成り立ちが共鳴しているのかもしれない、良しと思った

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私の宿した植物はどんなものたちなのだろう?私はどこに動き出し、どこにたどり着いたのだろう?またはどのあたりの道中に、海中にいるのだろう?悠久の時間を旅している旅人伊豆半島だが、こんなことを問うてくる力があることに気づいた

行き先の分からないまま夕となっていた日々のことを思いだす夕となった

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