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大川原脩平「みやげものの矜持」(滞在7日目・最終日)

▼なんかめちゃくちゃ元気になってる

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予定になかったちょっといいモーニングなんかを頼んじゃうくらいに今朝は元気だ。昨日はゆっくり湯船に浸かり早めに就寝したからか、昔ながらの定食屋で上海焼きそばを食べたからか、もう旅が終わるからなのか、なんなのか。いずれにしても、このエネルギーを旅の成果としておさめたい。またおおやけに報告しにくいものを成果だと言い張る活動に尽力している。そういう芸風なので、致し方ない。

▼もう一度来るために

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予約していた「仏教美術ギャラリー天竺」さんを午前中のうちに訪ねる。あらかじめ聞かされていたものの、オーナーの中西さんは私と仕事上の立場がなんとなく似ている。美術系の専門ギャラリー(うちはギャラリーではないものの)のオーナーという立場、そう溢れたものでもない。希少な美術品を見せてもらいつつ、三島地域の新たなキーマンの情報をたくさん入手する。彼らに会うためにまた来なければいけない。いつまでも楽しむために、心残りを胸にたくさん留めておく。それを次への資金石とする。

▼さわやかへの旅路

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「さわやか」に向かっている。まあ、静岡に来たらとりあえず来るべしというお店で、なんとなく他の人が書かない気がするので多少無理をしてでも行こうと思っていた。最寄りの店舗はおそらく地元民なら車で向かう距離だろうけど、歩いて行く。今回の旅のマイルールでは車を使わないことにしていたので、最終日、重たいキャリーを引きつつ幹線道路沿いのハンバーグ屋さんへ向けて足を運ぶ。なにせ、今日には東京に帰ってしまうのでこのままでは歩数が足らない。無駄に歩き回り、全力で歩行を味わい尽くす。死ぬまでに、あと何歩歩けるだろうか。

ハンバーグうまい。

▼人生で1番難しいのは、お土産を選ぶこと

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お土産。贈与である。どこかへ立ち寄ったのならば、何かを得て、ホームにてそれを配分しなければならない。それはホームを持つものの務めであり、そうしなければ、共同体の中であまりに大きなものを失うことになる。これが暗に義務であり、強制される世界に私たちは生きている。しかして、土産物屋はそうした信用を売っている。センスのない、あるいは気前のよくないふるまいをしないよう、さしあたりどこに出しても恥ずかしくないものが並んでいる。そうとはいって、選ぶのは自分自身である。

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あるいは、ものだけではない。旅の話、経験を共有する。旅先から手紙を送る。おもしろおかしくできごとを語り、日常にちょっとしたパフォーマンスを披露する。実はこうしたことこそが旅における最大の山場。本当の意味で人生をかけたふるまい合戦である。気前よく、恩着せがましくなく、あくまでただの「お土産」だという立場を崩してはならない。ふるまいの美学を洗練させよ。死を恐れるな。リスクを引き受けてこそ、踊りはいっそう美しくなる。わさびをたくさん買った。どうだろうか。

▼暗黒迷宮大手町

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新幹線で東京まで戻ってきた。あまりに近い。郊外の作家のアトリエに向かうときより気楽だ。東京〜三島間より東京駅から地下鉄に乗り換える道のりの方がよっぽど億劫だ。慣れ親しんだ東京アンダーグラウンドをさまよい歩き、家路についた。

旅は、呆気ないほど唐突に終わった。お土産を配らなければならない。また、歩く日々が始まる。

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