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豊永純子「作品名、蒲原(まとめ)」

マイクロ・アート・ワーケーション/静岡市清水区・蒲原 7日間の滞在が終了した。7日間と思えないほどの濃密な日々。身体と頭をフル回転して臨み、今までの人生の中でも特異で得難い経験をさせていただいた。

ひとつのまち・地域とは、不思議なものである。
土地と人間が一緒に作り上げる「作品」と呼んでも良いかもしれない。
私はこの7日間の滞在中「旅人」として、蒲原という巨大な「作品」の中へ足を踏み入れ、出会い、感じ、あらゆる発見をした。今までの旅行のようにただ眺める(鑑賞する)だけでは、地域の特産物や観光資源しか見えてこなかっただろう。しかし今回の企画では「ホスト」という強力な案内人が全力でサポートしてくれ、人が人に繋がって、実に多くの「作品」の「制作者」と触れ合うことができた。この点が、アーツカウンシルしずおかの新たな取り組み『マイクロ・アート・ワーケーション』の特徴だと思う。

「まちづくり」という一見やわらかい五つの音の中には、さまざまな紆余曲折があり、血の出るような奮闘があり、懐古と悔しさと衝突、人々の激しい喜びと未来への展望が隠されていた。蒲原に縁もゆかりもない私が数日見聞きしただけではその片鱗に触れることしか出来ないが、初滞在の7日間ということを考えれば、十分すぎるくらいに蒲原の「まちづくり」を目撃することが出来たのではないだろうか。

先ほど蒲原という「作品」に関わる人を「制作者」と呼んだが、何もいま生きている人に限定した呼称ではない。江戸/明治/大正/昭和期に蒲原のまちづくりに寄与した人・蒲原で暮らしたあらゆる人も含まれる。蒲原は宿場町ということもあり特に昔の人について大切に語り継ごうとする方が多く、今は亡き人の名前を聞かなかった日は、7日間のうち1日たりともなかった。

家も、町も、生きている。
常に変わり続けていて、今後も変化していく。
ひとが地域を作り上げ、地域がひとを変えていく。

こんな使い古された言い回しを堂々とこの旅の成果・発見として公表できるくらい、この言葉の核を理解し、肌で感じ取ることが出来たのだ、と胸を張りたい。
やましちの女将さんが言っていた「世界の中の蒲原」という言葉にも、この7日間を経た今となっては、さらに深淵な意味を感じられるのである。

近年盛んに行われる「まち中の演劇」も、根底にこうした考えをしっかり理解した上で、組み立てていく必要がある。ただ単にその土地の特徴を面白がったり、歴史上のエピソードを題材にしたり、住民を登場させたりすれば良いのではない。15年続いた中学生演劇が蒲原のひとつの歴史として語られたように、どんなに新しい取り組みでも、歴史となってその地域の「作品の一部」となる。ややもすれば蒲原という巨大な作品を変容させる力をも持つ。そうした意識と覚悟が必要なのだと知ることができ、非常に大きな収穫を得た。

日々の細かい報告は、7日分の日誌に書き記した。
毎晩4・5時間かけて1日を振り返りながら、言葉を選び、心を込めてしたためた日記である。
滞在中、地域の方々から「昨日のnote読んだよ」と嬉しいコメントをいただく機会が何度もあった。ある意味地域の異物である「旅人」に対して、あたたかな視線を注いでくれた蒲原の方々。その魅力を少しでも残せていたら嬉しい。


このような素晴らしい機会を作ってくださったアーツカウンシルしずおかの方々へ、心より感謝申し上げます。
そしてかつての宿場町と同じく旅人を迎え入れ、お忙しいにも関わらずお時間を割いてくださった蒲原の皆さま、誠にありがとうございます。

最後に、今回の「ホスト」として7日間が充実するよう様々な面からサポートいただいた、しずおか民家活用推進協議会 副会長の木下勇さま、奥様の真奈美さまに、重ねて御礼申し上げます。

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追伸
住んでいる埼玉に戻り、「いわしの削り節カレー」に追い削り節をしていただきました。野菜といわしの旨味が溶け込んだ優しい味わいのカレーに舌鼓を打ち、あたたかく接してくださった一人一人のお顔を思い出しながら旅の余韻にひたりました。
ありがとうございます。また蒲原へ、会いに行きます。


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