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12月32日

今日は大晦日だ。
高速道路の渋滞のニュースをコタツで横になりながら眺めている。

12月31日が終わるとまた1月1日になって、そこから一生懸命12月31日に向かって進んでいく。そしてまた1月1日が始まってまた12月31日に向かって進んでいく。そんなのを80から90やることに何の意味があるのだろうとウェイクは思う。

もし地球上で海の上を歩けるとしたら、4万km歩けば元の位置に戻ってくる。ふと、ハムスターが滑車の中を一生懸命走っている姿と自分達がダブった。

鳥はあんなに軽々しく飛んでいるのに結局誰も飛ぶことも出来てないし、毎日努力してる世界最速のウサインボルトが9.58秒で走ってもぐうたらしているコイツとたった5秒しか変わらない。どんなイケメン俳優やアイドルでも耳や目が2つあり、口があり、内臓や筋肉や骨がある。血液は同様に汚染され、排泄もするし、ゲップやオナラもする。原子や粒子まで掘り下げれば99%以上同じモノなのだろう。

この地球上で生きやすい完成品としてボク達は設計され生産された。勉強をしなくたって、ダラダラしてたって最低限の栄養素や水さえ与えられれば自動的に理想的なモノになる様に設計されていて20年かけて緻密な完成品が出来上がってくる。

やっとモノが出来上がってと思ったら次はスグに劣化が始まる。せっかく完成品が出来上がったのだからそのまま長く使える様にしておけばいいものを何故だかスグにそれを壊しにかかる。こんな高性能なモノを創り上げたのなら1000年2000年くらい生きてもいい様に思う。個体によっては価値のあるのは1万年でも10万年もそのままでいいんじゃないかってモノでもキチンと80年くらいで終わりが来る。
これだけ高性能なモノを作れるにも関わらず、それをベストな状態で保つことがここまで出来ないのにも意味があるのだろうと思う。

だからモノ自体には大して価値は無いのかもしれない。

モノは向き合ってもらえると喜ぶ。運動をすれば心やカラダにハリが出てくるし、栄養のある物を食べれば元気が喜んでくれる。

逆にお風呂に何日も入らなければフケだらけになって、赤みが出たり、臭くなったりするし、運動をしなければ筋肉が減って血流が悪くなり脂肪が滞納し血流も滞っていく。

そう考えてみると、人生はほとんどモノと向き合うことにしか意味は無いのかもしれない。

歯を磨く、お風呂に入って体を清める、脳に向き合う為に勉強をする、水分や栄養が足りてなければ食べ物を食べ、運動をして脳や筋肉や血流の状態と向き合う。

全て自分の中のどこかと向き合っている。

モノが完成されて1000年も2000年も変わらなければ向き合うことを忘れてしまうかもしれない。モノがキチンと劣化するからこそ向き合わされるし、それにより動かされる。

人間というモノについて考える余裕があるのはきっと今日が12月31日だからなのだろう。

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