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歯科医とは無縁だったのに

 キリキリとまわるドリルの音に、消毒薬の不思議なにおい。歯を抜くのも歯を削るのも、怖いと感じたことがない。なぜならわたしの歯たちはとても健康で、歯科医にお世話になる必要など全くないから。
 でも成長期の歯の生えかわりは怖かった。“グラグラ”なんて通り越し、今や繊維1本だけで歯茎と繋がっている乳歯を、いつまで経っても大事に大事にとっていた。大人の歯がもう根元で頭を出しているのに。
 そのせいで歯列はあまりよろしくない。もしもわたしが歯科医のお世話になるとしたなら矯正治療くらいだろう。まあ今のところは別に考えていないけど。綺麗に越したことはなくとも、この歯並びでつらい思いをしたこともない。

 だから本当にまさかのまさか。わたしが歯科医に毎週通う生活が訪れるなんて。

 このたび、歯科助手として働くことになりました。

 正確には既に働き始めています。少し前に「新しいアルバイトを始めました」と書いたアレ。無事に優しい歯医者さんに拾ってもらった。
 面接に行った帰りの時点で「あ、これ絶対決まったわ」と自分が働く未来が見えて、さらにそういう類いの予感はわたしにとって必ずアタリ。まだ数回と呼べる数しか出ていないけど、とりあえずはまあ続けられそう。
 わたしが最低限の理想としていた労働条件を全部叶えてくれている上、体力と気力の消費もわりと少ない。初出勤の日だけは外で働くのがひと月ぶりだったために本気で腰がきつかったけど。将来赤子を抱けない身体になるかと思った。


 わたしは高校生の頃からずっと飲食店でしか働いたことがない。だから歯科助手としての歯科医の世界は何から何まで全くの未知。患者としてもお世話になってこなかったから本当に。

 働いている人たちも飲食店とは全然違う。同い歳など誰もいないし、何なら曜日が被る先輩のうち20代さえ2~3人。自分の親より±10歳前後の人がほとんどだ。
 でもわたしにはこれが意外と合っていた。わたしはもとより同年代の輪の中に交じりワイワイ騒げるタイプじゃない。ただ穏やかに周囲の会話を聞きながら、頭の中で「へえ~」と思っている役だ。話を振られれば口を開くが自ら飛び込むことはない。
 だから親世代の大人たちの落ち着きや、そこから生まれる“ならでは”のアットホームな空気が結構心地良かった。まるで親戚が集う祖父母の家。仕事自体にもバタバタとした忙しさはほとんどないからとても穏やかに働ける。

 もちろん飲食店には飲食店の出会いがあったし、事実辞めるのが今さら惜しい。まだ退職について話せずにいる。
 ときには何かを切り捨てなけらばならない人生。みんな元気にしてるかな。


 アタリの職場は1年以上続けてきたので、今回もたぶんしばらく勤続しそうです。まさかわたしが毎週歯科医を訪れることになるなんて。
 だけどこれからも患者としては変わらず無縁でいられるように。治す側になったからなお屈強な歯を保ちたい。先生たちに矯正治療を勧められたらお気持ちだけ頂きます。

 もしも行きつけの歯科医に新人らしき橘がいたらわたしです。バキューム下手くそですみません。もっともっと頑張ります。


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