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暑いよ、だから好きなんじゃん

 どこもかしこも、紫陽花の花は錆びた枯茶にしぼんでいる。鮮やかだった青い花弁が真昼の宇宙に全部吸われてしまったみたい。

 夏はつねづね極彩色だ。電線と空、空と白雲。彩なき色とのコントラストがパキっと綺麗に映えている。
 花も緑も青に負けじと生き生きするから、ぼうっとしてるとわたしのほうが乾いて干からび、先にくたばるかもしれない。

「どうしてわざわざ1番暑い時間に外へ出かけるのか」と尋ねられたら、その時間にふと出たくなるから、そう返す。炎天の下を宛てなしにただ散歩するとき、もっとも夏がそばに在るのだと感じられる。

 よく言うアレだ、激辛グルメが大好きな人に「辛くないの?」なんて言葉が愚問であるのと変わらない。辛いよ、だから好きなんじゃん、で即終了。
 おんなじように、当然わたしも真夏の午後にうろちょろするのは超暑い。でもこの夏には触れていたくて、わざわざ猛暑の気温を浴びに外へ出る。

 大抵の人は自分が生まれた季節のことを好いているんじゃなかろうか。夏とわたしは本質的に調和している部分があるといつも思う。だから真夏に生きているのは心地よい。
 そうでなくとも傍から見れば、夏生まれの人はだいたい夏っぽい。どんなに暑さが嫌いだ嫌いだ言っていたって、キンキンに冷えたペットボトルに口づけするのはよく似合う。


 夏になったらこうして夏の話ばかりを飽きずにするのは、とっくに予想ができていた。毎日毎日似たり寄ったり、おんなじことを考えながら生きている。

 エアコンの音に遮られても、ガラス1枚隔てていたって微かに聴こえるセミの声。日本でもっとも夏らしい音が鳴り止む日まで、あとひと月ほど想いをここに残したい。

 8月のnote、全部まとめて夏へ届ける恋文である。


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