日記(2022/9/8)
2日間、日記が書けなかった。3日前に歩いて琵琶湖へ行ってからというもの、琵琶湖のことが片時も頭から離れない。わたしはあの体験に惚れ込んでしまったようだ。
昨日も一昨日も、日記を書くためにnoteを開いたものの、改行するごとに「琵琶湖」という単語がでてきてしまい酷い文章しか生まれない。こんなものは日記じゃない...。そっと下書きにしのばせた。一部抜粋
以前から私は、なにかを好きになるととにかくそれに夢中になり、ほかのものを受け付けなくなる、という節がある。例えば、源氏パイ。源氏パイに熱中していた時期は、多いときで一日に90枚も源氏パイを食べた。一晩中(比喩でなく一晩中)無心で源氏パイを貪り続けていたあの日は、今思うと頭がおかしいし、怖い。近所の源氏パイを枯らしてしまい、遠くのスーパーまで足を運んだ。源氏パイブームは数ヶ月続いた。最近は、「下足の極み味あし」という、筒状のプラ容器に入ったするめいかに溺れてしまい、一日に3筒も食べている。これは今でも続いている。「マクドナルドでバーガーセットを食べた直後にすき家で並盛の牛丼を食べること」にハマっていた時期もあった...胃袋どうなってたんだ......
とにかく恐ろしいほど、そのことしか考えられない、それがないと生きていけない、という生活になってしまうので、自分でも次は何に溺れてしまうのか不安に思いながら日々生活している。好きになったものが健康な物事ならなにも問題ないが、必ずしもそうではない。
そして今回が、「歩いて琵琶湖に行く」ことだった。
歩いて琵琶湖に行く、というのは、身体に悪いことではない(むしろ健康的だ)し、お金もかからない。とてもいい熱中対象に思えるが、私にとってはそうではなかった。歩いて琵琶湖に行って琵琶湖を堪能して歩いて帰ってくるには12時間ほど必要だが、私にはそんなにまとまった時間が存在しない。琵琶湖に行くだけであれば電車ですぐなのに、厄介なことに「琵琶湖に行きたい」のではなく、「歩いて琵琶湖に行きたい」のだ。歩かなければ意味が無い。
歩いて琵琶湖に行かないと満たされない身体になってしまったのに、歩いて琵琶湖に行く時間が無い。どうしてくれるんだ...!3日前の私は、こんなことになるなんて思っていなかった。むしろ「行くの大変だったな〜いい経験したな〜楽しかったな〜」くらいで終わるのだろうと考えていた。そうではなかった。軽い気持ちで向かった先で私は、琵琶湖のことしか考えられない身体になって戻ってきてしまった。私は、今、とてつもなく、歩いて琵琶湖に行きたい!起床時間の全てを琵琶湖に想いを馳せながら過ごしている。
昨晩スケジュールを眺めていたら、どう考えても今月は琵琶湖に行くことが出来ないという現実に直面し、涙が止まらなくなってしまった。琵琶湖への想いを紛らわせるために普段飲まないお酒を飲んだら、ほんの少量でふにゃふにゃになってしまった。琵琶湖への想いは消えなかった。わたしはこの先どうやって生きていったらいいのだろうか...
きっと新しい熱中対象を見つけるのが一番なのだけど、意図的になにかを好きになるというのは難しい。頑張れば可能なのかもしれないが、琵琶湖のことしか考えられなくなっている今のわたしには、他のなにかを好きになる努力をするのは不可能だ。今はただ、運命の出会いを待つことしかできないのかもしれない。
新しい出会いと、再び歩いて琵琶湖に行ける日と、どちらが先に来るのだろう。