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米国の5G国家戦略は詰んでいるのか - ペンタゴンレポートを読みとく

2020年という年は、コロナ禍に始まりオリンピック延期、政権交代、米国大統領選挙など大きな事件が大きすぎて10大ニュースを絞り込むのに苦労するが、通信・IT業界としては、今年7月に米国が「安全保障上の脅威」を理由にファーウェイとZTEという中国の通信企業からの調達を禁する決定を下したという衝撃ニュースは、間違いなくランキング上位に入るだろう。

米国は、自国のみならず同盟国などにもファーウェイ排除の「クリーンネットワーク」への参加を呼び掛けるなど、世界中を巻き込んで5Gをめぐる覇権争いに強硬な姿勢で臨もうとしている(日本は今のところ、この動きには同調していない)。

米国がこうした強硬姿勢を明確に打ち出した背景には、各国が鎬を削る5Gの普及展開において米国が極めて厳しい立場に置かれていることがある。本稿は、安全保障における米国の5G戦略の難しさと今後の展望を描いたことで米国連邦政府の行動に大きな影響を与えたペンタゴン(国防総省)のレポート「THE 5G ECOSYSTEM: RISKS & OPPORTUNITIES FOR DoD」を読み解いてみようというテキストである。

本レポートは2019年4月に公開されたものであるため、事実関係について少し古くなっている点もあるが、米国の5Gに関する国家戦略のアウトラインを理解するには現在でも有効なレポートである。また、2020年12月時点の最新動向についても適宜補足している。また、抄訳はこちらから読める。

厳密にいうと、このレポートを書いたのはペンタゴン自身ではなく、DIB(Defence Innovation Board)という2016年に設置された独立の諮問機関である(初代座長は元Googleのエリック・シュミット)。しかし、DIBもペンタゴンと連携しながらレポートをまとめているので、いきなりペンタゴンを背後から指すような内容を書くわけではない。実際、後述するようにペンタゴンおよび連邦政府はこのレポートの提言に従ったアクションを起こしている。

なお、本レポートの存在については、遠藤誉 『米中貿易戦争の裏側』(2019)から教えられた。また、同著者の以下の記事でも要約を読むことができる。

すでに専門家にとっては既知に属する事柄ではあるが、非専門家の目線で、自分向けの備忘と整理も兼ねて分かりやすくかみ砕いてみた。

「空白の帯域」が持つ意味 ― 前進守備は何のためにあるのか

5Gで利用が検討されている周波数帯は、大きく二つある。24~100GHzの「ミリ波(mmWave)」と6GHz未満の「サブ6(sub 6)」である。この二つの帯域には、ざっくり次のような長所短所がある。

ミリ波:高速・大容量だが距離が短くカバー範囲が狭い。技術的に難しく高コスト。
サブ6:低速・低容量だが長距離いけてカバー範囲が大きい。技術的に簡単で低コスト。

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5Gの周波数帯は二つある

各国とも、基本的にこの二つの周波数帯を中心に開発を行っているが、特に重要なのがサブ6帯域である。ここは、技術的な難度が低くカバー範囲が広いため、基地局の数も少なくてすむことから、直近の展開が容易である。そのため各国ともこの帯域を利用した5G展開に力を入れている。総務省の2018年のレポートにおいても、サブ6だけで実証実験の4割を占めるとされている。特に中国がこのサブ6の活用に熱心であり、ペンタゴン・レポートでも「中国はサブ6における技術的なリーダー」と評価している。

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直近の5G展開のカギを握るのがサブ6

一方、米国の5Gに対する周波数帯の割り当てを見ると、不思議なことに気づく。このサブ6、特に他国が主に利用を見込む3~5GHz帯への割り当てが一切存在しないのである。これは一体なぜだろう?

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図は片桐広逸『決定版 5G』(2020)より引用して改変

実は米国では、このサブ6をすでに連邦政府、というかペンタゴンが排他的に利用するように割り当ててしまっている。このため米国では(少なくとも直近は)ミリ波でいくしか選択肢がない。野球に喩えれば一死満塁、前進守備でファーストがゴロを捕球したのに一塁ベースを踏んでしまうくらいの痛恨のミスである。

どうしたんだペンタゴン! なんのための5Gだ!これはいけませーーーん! (笑みを浮かべる原辰徳監督)

ペンタゴンが本レポートを書いた動機は、ひとえにこの状況のヤバさを訴えるためである。ファーウェイは当然ながら中国政府の戦略に沿ってサブ6主体で技術を開発している。もしこのままサブ6がグローバルスタンダードになれば、米国のミリ波主体の技術はガラパゴス化することになる。それは何としても避けねばならない。連邦政府の排除命令も、ファーウェイの足止めのためと解釈できる。

ミリ波一本足打法は可能か?

さて、ファーウェイを牽制している間に米国はミリ波一本で強行突破できるだろうか? 無理だ、というのがペンタゴンの判断である。ミリ波はサブ6に比べるとカバー範囲がとても狭く、障害物による遮蔽や雨による減衰の影響も受けやすい。下図はロサンゼルスで行われた実験結果であるが、サブ6(右)に比べてミリ波(左)のカバー範囲が極めて狭いことが分かる。試験条件は、比較的平坦な土地でアンテナも高い電柱に設置したというミリ波にとって有利な条件だったにもかかわらず、である。

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赤い範囲は1Gbps、青い範囲は100Mbps

結論として、ミリ波で行く場合は多くの基地局を立てて密度を高くする必要がある。都市部ならばその戦略もありである。2019年にミリ波による5Gサービスを開始したVerizonは、都市部や商業地域など人口密集地域にフォーカスしている。しかし、膨大な国土を持つ米国の隅々までミリ波一本でカバーするのは大変だ。ペンタゴンの試算では、最低でも1300万台の基地局を新規に建設する必要があり、4000億ドルはかかると見込んでいる。一方でAT&TとVerizonは1000億ドル以上、T-MobileとSprintも数百億ドルの負債と多額の負債を抱えているうえに、株の配当利回りも高いので大規模な投資に耐えられるか心もとない(AT&Tの株式配当利回りは驚異の7%超えである)。

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Verizonの5Gカバーマップ。5Gのカバー範囲は非常に狭い。

ではミリ波を諦めて、サブ6を民間に開放するのはどうだろうか。実はこれが本レポートの最も重要な提言である。以下、結論部より引用する:

国防総省とFCCは5G向けの帯域として、mmWaveからサブ6GHzへの優先順位を反転させる必要がある。国防総省とFCCは、これまで5G開発のオプションとして28GHzと37GHzの帯域幅を優先してきた。この取り組みは見当違いである。

DoD and the FCC must flip their prioritization from mmWave to sub-6 GHz spectrum for 5G.
DoD and FCC have been prioritizing the 28 and 37 GHz bandwidths as options for 5G development, but this effort is misplaced. 

自分たちが推進してきた方針を「見当違い(misplaced)」と断言して正反対の方針へ舵を切るこの胆力にはほれぼれする。誰だ無責任って言ったの。いいのである。状況が変われば戦略が変わるのは当然のことなのだ。君子は豹変するのである。

実際、この提言に沿って、ペンタゴンも今年サブ6の一つである3.5GHz帯ををオークションにかけてVerizonなどがライセンスを獲得した。

今後も他のサブ6帯域のオークションが予定されており、サブ6の民間開放が行われる予定だ。これでめでたしめでたし、米国の覇権も安泰・・・となるかというと、残念ながらそうではない。政府が占有していた帯域を民間へ開放・共用していくプロセスには時間がかかる。2010年にもFCCは政府利用帯域の3550-3700 MHz帯を民間に開放したことがあるが(BBRS:Citizens Broadband Radio Service)、このときも5年かかった。この遅れは、5Gのグローバルスタンダード争いにおいて致命的になる可能性が高い。ミリ波での強行突破は無理だし、サブ6への転換も遅きに失し、米国の5G戦略はかなり詰んでいる。トランプ大統領が「6GでVやねん!」と言い出したとき世間は冷笑したが、今ならその気持ちが理解できるのではないだろうか。少なくとも筆者は理解できる。「もう(6Gしか)ないじゃん・・・」。

なお、連邦政府もミリ波を完全に選択肢として捨てたわけではなく、直近の優先度が下がっただけなので、ミリ波のカバー範囲改善などの投資・研究は続けている。また、FacebookのAthena、AmazonのProject Kuiper、SpaceXのStarlinkなど民間企業が衛星通信によるブロードバンド通信に積極的に投資しており、ミリ波活用というテーマもここで追求される可能性は高い。行政対応がメインのサブ6は政府による規制緩和で対応し、技術革新と設備投資がネックのミリ波は金満の民間企業に札束で殴らせるというのは、合理的な役割分担である(政府と企業がどの程度連携しながら動いているのかは分からないが、通信業はFCCによるライセンスが必要な認可事業なので、いつもは政府嫌いの西海岸テック企業も、ある程度政府の意をくんでいると思う)。

ちなみに、日本はカバー範囲に優れたサブ6(3.7GHz帯・4.5GHz帯)とカバー範囲は狭いが高速・大容量通信の可能なミリ波(28GHz帯)の両方を5G向けの帯域に割り当て、都市部と地方部の特性にあわせて柔軟に使い分ける戦略を考えている。これが可能なのは、混雑する人気帯域であるサブ6の共用調整という方針がまとまったことと、人口の99.99%をカバーする光ファイバの敷設が済んでいたことである。

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片桐広逸『決定版 5G』(2020)より引用

光ファイバ普及はかつて「投資するだけ無駄」、「NTTの利権」だの言われたものだ。過剰医療の代名詞だったCTスキャンがコロナ診断に威力を発揮した入り、投資というのはどこで活きるか分からないものである。

国防としてのゼロトラスト

このように、米国の5Gに関する国防戦略はかなり厳しい状況に追い込まれている。ペンタゴンは、最悪ケースとしてサブ6がグローバルスタンダードとなり、米国が完全に立ち遅れて中国が5G覇権を握った世界というのを想定している。その場合、米国は中国企業のネットワーク製品を利用しなければいけなくなる。筆者が「アッ」と声をあげたのは、ペンタゴンがその最悪シナリオにおいてゼロトラスト・セキュリティが最後の保険になると述べていたことである。

国防総省は「ゼロトラスト」ネットワークモデルを採用しなければならない。境界防衛モデルは効果がないことが証明されており、5Gではより多くのシステムが共通のネットワークに接続されることによって、この問題を悪化させるだけである。情報へのアクセスは、もはや特定のネットワークへの接続許可によって制御するのではなく、ネットワーク内の様々なセキュリ ティチェックによって制御されるべきである。

DoD must adopt a “zero-trust” network model. Perimeter defense models have been proven to be ineffective, and 5G will only exacerbate this problem as more systems are linked into a common network. Information access should no longer be granted simply through attachment to a specific network, and instead should be granted through various security checks within the network.

中国製のネットワーク機器を利用することになれば、情報を抜いたりサイバー攻撃を仕掛ける「攻撃面(attack surface)」は現在より飛躍的に増大することになる。そのとき、もはや従来のファイアウォールに頼った境界防御では立ちいかなくなる、と覚悟しているのである。そこまで考えているのか・・・単にVPNとシンクラが嫌いなだけじゃなかったんですね。今年、ファーウェイ排除が実施されたときに、本当にファーウェイ製の機器から情報漏洩が起きているのかを多くの技術者や研究者が調べたが、そのような事実は確認されなかった。しかし、米国にとって本当に重要なのは「今現在」のことではなく、将来に大きなリスクを抱える可能性を見据えて行動している。

連邦政府のレポートを読むのは今回が初めてではないが、いつもそのリアリズムの深さに感銘を受ける。希望的観測も偉い猫への忖度もなく現実を分析し、幾つものシナリオをシミュレーションして最適解を見出そうとする執念を感じるのだ。今回は国防という国家の存続にかかわる重大テーマであるだけに、その気合の入りぶりは一層のものを感じた。「そもそもペンタゴンがサブ6帯域を占有してミリ波全振りにミスリードしたのが問題の発端じゃないの?」という疑問を持つ方もいるかもしれない。

その通りです。

その通りなのだが、文中に書いたように自らの過ちを認めて方針を180度展開する胆力とクールさが凄いのだ、と言いたいのである。

GoToの代替案を考えていない日本政府とどこで差がついたのか、慢心、環境の違い、電磁波による学力低下…。

さて、話をまとめよう。

・5Gの候補となる帯域のうち、展開が早いと見込まれるサブ6は中国が力を入れている。
・米国ではサブ6をペンタゴンが占有してきた歴史があり、民間開放には時間がかかる。
・そこでファーウェイ・ZTEを締め出して少しでも時間を稼ぎ、その間にサブ6を民間開放して中国に追いつかなければならない。
・これが間に合わず、中国に牛耳られた場合の保険としてゼロトラスト・セキュリティが重要な意味を持つ。

読者の皆さんが今後5Gおよび米国・中国の覇権争いのニュースを見るときも、「ミリ波」、「サブ6」という周波数の持つ意味から理解を深めていただければと思う。


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