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今なぜ、岩に行かないか

多くのクライマー同様、しばらく岩に行っていない。
でもそれは、緊急事態宣言が出ているからとか、自治体や山岳団体等から自粛要請されているから、というのが理由ではない。
宣言や要請は、僕が岩に行かない一因にはなっているけれど直接的な原因ではない。
また、岩に行くことに法的罰則が伴うか否かの問題でもない。
仮に岩に行くことが罰せられたとしても、無思考にそれに従うのは違うと考える。

 

なぜ人を殺してはいけないか

永井均さんの『これがニーチェだ』に、若き日の僕が衝撃を受けた文があるので引用する。

なぜ人を殺してはいけないか。
これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。
道徳哲学者や倫理学者は、こぞってまことしやかな嘘を語ってきた。
ほんとうの答えは、はっきりしている。
重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない
だれも公共の場で口にしないとはいえ、これが本当の答えである。


自分で考えて、自分で決める

クライミング界隈に限ったことではないが、SNS等を眺めていると政府などの大きな存在や権威に意見を仰ぎすぎている人があまりに多い。
"外出ってして良いの?"
"今って岩行って良いの?"
"いつから解禁なの?"
人に決定権を委ねたがる人ばかりだ。

強烈なリーダーシップで統制して欲しい気持ちもわかる。
このような混乱時には、その方が社会全体が上手く回るというのもわかる。
でも原則として忘れたくないのは、僕らの行為にダメも良いも禁止もないということだ。
それはその行為が法的罰則の対象だろうとなかろうと関係ない。
どんなときも僕らの人生は、自分で考えて自分で決めるのだ。


なぜ僕は今岩に行かないか

今だって、岩に行くことで生じる
・自分に新型コロナがうつる/誰かにうつす可能性
・怪我をするなどして医療機関に負荷を与える可能性
・見つかって強烈にバッシングされる可能性
・会社などの組織をクビになる可能性
・(もし法的罰則の対象になったとしたら、罰を受ける可能性)etc...
をもろもろ考慮して、それでもなお行きたいのなら、それはやむをえない。
それがこの世界に生きるということだ。

だから今なぜ僕が岩に行かないかと問われたら、緊急事態宣言が出されているからでも自粛要請されてるからでもない。
もしその問いに真摯に答えるならこうなるだろう。

今岩に行くことで得られるものと失うものを自分で考え比較したとき、失うものの方が大きいから行かない、と。


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