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「生きること」の不安

こんばんは、開けましたね。
ことしもよろしくお願い奉りまする。(ぽんぽん)

年末はお友達と年越しキャンプをしに千葉の九十九里へ。
久しぶりに酒を飲み、たくさん笑い、ご来光も眺めることができて良いひと時でした。ありがたや。

年明けからは生理痛と、冬季うつとが重なり完全に現在に至るまで、気持ちが落ち込む、そして災難祭り。これが本厄というやつか。

一昨日くらいから近所に住んでるおじいちゃんはコロナで出かけられないストレスか、認知症にかかっちゃってて、家からでても迷子になって騒ぎ散らして(単に声がでかいだけかもしれないが)お巡りさんのお世話になったり。
挙句の果てには家に閉じ込められた(内側からかけたチェーンが開けられない)おじいちゃんが扉からご近所さんとかに叫ぶ始末、ご近所さんが110番してまたトラブル。

(扉から叫ぶおじいちゃんがマジでシャイニングのあの写真だった。)

近所に住んでる介護福祉士の方が松戸市の福祉課に連絡したりして老人ホームに入るか、とかいろいろ手続きしてくれたりしたんだけど、
激高するおじいちゃんと平和に会話できるプロはすごいなと…頭が上がらなかった。。

でもさ、もし自分の両親があんな状態になったらどうしようだとか、色々考えたらもう、辛くて辛くて。
今日一日ずっと「おじいちゃんはご飯ちゃんと食べれてるだろうか」とか
道行くおじいさんみて「うちのおじいさんは散歩できる状況じゃないもんな」とか考えちゃってて、とにかく不甲斐なさたるや。。あぁ。

人様の迷惑をかけるわけにはとはいいつつも、長生きしているとどこかでそうやって世話にならないといけないって思うと、ある意味死んだもん勝ちだよなと母さんと話してしまった。
子供を産んだとしても世話をする辛さ、自分を生んだ親を世話する辛さ。
一人で生きていくことはできないというけど、こういうことかと思うと、辛い。
そして、お国さんに頼るときは何をするにも手続きをしないといけない煩わしさ。

将来の不安が多くて多くて、生きるのすら面倒になる。
将来はどこか遠くに行って何もわからないところからやり直したいと思ってたけど、両親が介護が必要になって戻らなくちゃいけないとか、そういうの考えると本当に自分のやりたいことが取捨されてなくなる。
自分の人生だから、自分のために生きるべきだけど、やっぱり情けというか、人のために働いたり、生きなきゃと思うから…そう思うと本当に辛い。

私は一体、何のために生きているのだろう。

ふがいないやいや。あぁ。

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