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濡れ衣新幹線

東京から名古屋まで新幹線に乗った時のことだ。

始発の東京駅から乗れば自由席に座れることが分かっていたので、私は指定席券を買わずに駅のホームで新幹線の到着を待っていた。
自由席車両乗り口の先頭で待ち構え、新幹線が到着するとすぐに乗り込み席を確保する。指定席券代を節約しながら窓際に座れたことに微かな高揚感を覚える。

続々と人が乗り込んでくる中、1人の若い女性が私の隣を指差し「すみません、ここ空いてますか?」と訊いてきた。
「はい、空いてますよ」と言うと、彼女はスーツケースを足元に置き、少し窮屈そうに座った。
その数分後、1人の男性が通路に現れた。すると彼女は立ち上がり、その男性と一緒に別の車両へ行ってしまった。スーツケースは席に置いたままだ。
新幹線はまだ発車前だったが周りの座席はほぼ埋まっていたため、他の車両の空席状況を見るために一旦付いて行ったのだろうと思い、私は特に気に留めなかった。

しばらくして新幹線の発車時刻が来た。しかし隣の女性はまだ戻って来ない。
始発駅にもかかわらず自由席車両は満席になり、立っている乗客もちらほらいる。

すると1人の乗客が私に話しかけてきた。
「そのスーツケース、どかしてもらえますか?」


…えっ!?
このスーツケース、私のだと思われている…!?


考えてみればそうに決まっている。
私の隣の座席にデカデカとスーツケースが置いてあるのだ。誰がどう見ても私がスーツケースを置いて2席占領しているようにしか見えない。


完全なる濡れ衣。


「いや、このスーツケース、私のじゃなくて…他の方がここに置いたままどこかに行ってしまったんです」と言うと、「あ、そうなんですか…」とその乗客は離れて行った。


新幹線が発車した。するとまた1人、「ここの席いいですか?」と話しかけてくる。
私は先程と同じ返答をしたが、その後も数人と同じやりとりを繰り返した。濡れ衣に次ぐ濡れ衣。非常に居心地が悪い。


気まずいやり取りを繰り返しているうちに新幹線は品川駅に到着した。
しかし彼女はまだ戻ってこない。
更に多くの人が車両に乗り込み、立っている乗客で通路が埋め尽くされる。


周りの乗客の視線が痛いほど刺さる。
「こいつ、なんでこんなに混んでるのにスーツケース置いて席占領してるんだよ。非常識にも程があるだろ」と、聞こえないはずの声が車内アナウンスのように聞こえてくる。

「このスーツケースは私の物じゃないです!赤の他人がここにスーツケースを置いたまま他の車両に行ってしまったんです!私が勝手にスーツケースを動かすわけにもいかないし、どうしたらいいか分からないんです!」と拡声器で乗客全員に弁明したいくらいだったが、そんな度胸も拡声器もない。


また近くの人が「あのー、ここ、いいですか?」と訊いてきた。

「このスーツケース、私のものじゃないんです。知らない人が、ここに荷物を置いたままどこかに行ってしまったんです」

周りの乗客にも聞こえるよう、耳の遠い年配の方に話す時と同じ要領で、できるだけゆっくり大きな声で話した。

「あ、そうなんですか…」

私の声が周辺の乗客に届いたのだろう。そこから席のことを訊ねられることはなくなった。
濡れ衣が少し乾き始めるのを感じる。


しかしそのままスーツケースの女が戻ってくることはなく、ついに新幹線は新横浜駅まで到着してしまった。
また人が大勢乗り込んでくる。乗車率120%。通路はギュウギュウである。


そこで1人の中年女性がまた「ここ座ってもいいですか?」と訊いてきた。
私が今までと同じように返答すると、
「あーそうなのね…。でも、そんなに長く戻ってこないなら私が座っちゃってもいいかしら?」と言ってきた。
私に聞かれましても…という気持ちもあったが、このままの状態で乗り続けるのは私もつらい。
「はい、ずっと戻ってきてないですし、いいと思いますよ!」私は笑顔で答えた。

中年女性は足元が窮屈そうだったがどうにか座席に座り、私はこれで濡れ衣地獄から解放されることを喜ばしく思った。


そのわずか1分後である。スーツケースの女が戻ってきたのは。

その女は「すいません、すいません」と立っている乗客をかき分けながら戻ってきた。
そして席に辿り着くと「あ、これ私のなんで」と無表情で中年女性の足元にあったスーツケースをぶん取った。
「元々あなたの席ですよね。すみません、替わります」と言う中年女性を無視し、彼女は私の方をあからさまにキッと睨んで去って行った。


なぜ私が睨まれなければならないのか…


まさか、
「最初座る前にわざわざ声かけただろ。私がスーツケース置いたのも見ただろ。それなのに何で他のやつ座らせてんだよ?」
っていうことじゃないだろうな…?
まさか、ね…

ビショビショの濡れ衣が重すぎて動けない。


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