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日並の市について

日並の市 開催にあたる想いとご挨拶。

みなさま、いつも大変お世話になっております。
少しお話しした方もいらっしゃるかと思うのですが、9月より岡田屋本店敷地、
及び向かいの家のスペースを使い、月に一度の市を開催したいと思います。
これはイベント性が強いものではなく、日常に寄り添うような人々の食を支えるようなもの。、
それにより作り手と消費者の方が繋がれるようにイメージしています。

私は幼少期から両親の影響で食や環境問題、政治、人種や宗教の問題などの話をよく聞いており、当時はそれぞれがどのように自分の身に関係しているのか、その意味をほとんど理解できていませんでした。
高校から料理の道へと進み、食材と向き合いつつ、大量に仕込んで余った切れ端の野菜や食材を活用しきれず処分したり、農家さん、生産者の方と直接関わる機会もとても少なく、それよりも技術の向上が優先され、良い料亭やレストランに就職することが学校にとっても、個人にとってもステータスになっていました。
このようなことに対して疑問を持つ、と言うこともないほどに日々の学校生活と料理の技術向上に、みな励んでいたのだと思います。
今思うと、もちろんその経験が全て無駄というわけではありませんが、本当の意味で食に携わる人間として必要なことが1つ抜けてしまっていたのかと思います。

卒業して、社会に出てから両親がなぜ、あれほど私にさまざまなことを伝えていたのか、その真意を少しづつ理解していきました。
食は人間の生命維持にとって必ず必要なことで、人の肉体的、精神的健康はもちろん、人格形成にも大きく影響すること。先人からの伝統、文化を守り、継承していること。
そして次世代に伝えること、自然環境の恩恵によって食物を育て、食すこと。
それらは全て切り離されたものではなく、大きな輪でつながっています。
昨今、その食は簡略され、便利さと引き換えに大事なことまで、失われかけています。
食材や作り手と向き合うこと、人と話しながら作り、食べること、
昔からの手仕事をする人たちがいなくなっていること、などもその一部です。

コンビニに行けばいつでも食べ物が買えるし、市場やスーパーに行けば当たり前にいつでも野菜があり、ある程度のものが手に入ります。
それらが当たり前になりすぎて、ありがたみが無くなっているような気がします。
海や山の環境も年々変化していて、その変化に気づき行動している人達。
今まさに消えかけてしまいそうな在来種の野菜たちのタネを繋いでいる人達。
自然と向き合いながら生きる彼らをとても尊敬しているし、そう言った人たちが報われるような社会になるべきとも思います。
小さなところからですが、出店者の方々のつながりも強くなり、それぞれの意見交換の場としても機能していけるととても嬉しく思います。

現在、私は岡田屋本店を引き継ぎ、切り盛りしています。
今、お店から、そして関わる人々から多くを学ばせていただいております。
そうして小さな町の商店としての存在の意味を感じているところです。
この場所は昔から、人々が集まり、食を中心にさまざまなカルチャーが交わってきた場所で、これからもそうあるべきかと考えております。
今回お誘いした皆さまは、私がとても尊敬している作り手の方々です。
オーガニックやナチュラルといった言葉が一人歩きし、マルシェというものが世に溢れている今こそ、その原点を考え、誰から買うのか、どんな人たちを応援したいかという事を




この市を通してこれから先、ここを拠点に発信していければと思います。

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