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卒論の調査中、出会ったおじいさんにご飯をごちそうになれば良かったなという話

ミッキーです。

眠れぬ夜にふと思った話を書いています。

もう15年も前の話。私は新潟大学で考古学を学んでいました。考古学は遺跡を発掘・調査・研究することで、昔の人々の生活や文化を知り、そこから学ぼうという学問です。エジプトのピラミッド研究やインディージョーンズが有名ですね。

ちなみに考古学トリビア

・恐竜は考古学でなく古生物学の範疇

・昨日からもう考古学の研究領域(第2次世界大戦などを研究する例も)

・発掘=破壊です。超大規模な発見以外、遺跡はたいてい邪魔者で、そこにマンションやビルを建てるために、遺物や情報を取るだけ取って埋め戻します。(※邪魔者なので知らんぷりする業者がいたりしますが、犯罪です)

15年前、私は旧石器時代(2万年よりもっと前の時代)の遺跡の立地傾向を卒論テーマに選んでいました。就職も決まり、卒業するためには卒論用の現地調査を冬が始まる前に済ませなくてはという時期でした。

100を超える遺跡に赴いて、写真に収める必要がありました。これがとにかくクソだるいのです。車で家から100㎞以上遠くの場所に行くなんてのはカワイイもので、今やただの斜面や野原となった遺跡の位置を、等高線のみ記された特殊な地図から読み解いて見つけなければいけないのです。

(皆さんが想像するような公園として保存され、看板や石碑が立っている遺跡は超レアで遺跡界のスーパースターなのです。)

クソだるさ故に、中々重い腰を上げられず季節は秋になりつつありました。メソメソする私は母に一括され、車に乗って調査のスタートを切りました。

調査から1週間ほど経ち、軌道にのり始めたころ。その日は、新潟県津南町の河岸段丘のエリアを回っていました。

河岸段丘とは川の流れに削られて階段状になった土地のことです。

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階段のフチの部分はかつての川のそばだったことになります。現在でもそうですが、水は人間の最重要ライフラインなので、川のそばに遺跡があることが多いのです。川の流れを見て落ち着く人間の心理は、この時代の祖先から来ているのかもしれません。

話は戻って、この地域は河岸段丘の下と上の高低差があり、親から借りた三菱ディンゴも息を切らしておりました。

いくつかの遺跡を回った後、時刻は17:30位になっていました。夕暮れ時も終わりかけた頃、尋ねた遺跡は現在、民家の敷地内の畑になっていました。

当然許可を取る必要があるので、畑にいたおじいさんに話しかけました。

卒論の調査であることを説明しながら学生証を見せて身分も証明しました。ちなみに、その県における国立大学の信用は絶大でした。

畑の調査をして写真を取った後、礼を行ってその場を後にしようとすると、

「もう夕食時だ。ご飯を食べていきなさい。」

と、おじいさんが言ってくれました。

食べていきたいのはやまやまでしたが、あと一つ遺跡を回る必要があり、それも暗くなる前のこの20分くらいが勝負でした。家から2時間くらい離れた場所だったので、1カ所のために出直すわけにもいかず、先を急ぐと改めて伝えてその場を去りました。

暗くなり出した山あいの里で、9月とはいえ冷え込む気温の中、畑にたたずむおじいさんの本当に残念そうな顔が今も思い出せます。

特に悪いことをしたわけでもないし、先を急ぐ理由もあったわけなんですが、あれから15年です。単純に考えるとあのおじいさんがご存命である確率の方がきっと低くて、互いにとって一生で一度の機会を逃してしまったのではないかと、ふと眠れぬ夜に思い出しました。

落ちもないですが、そんな話でした。

それでは。



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