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幻想小説 幻視世界の天使たち 第7話

厳しいスケジュールで準備を進めながらもユースフが毎日訪れる場所があった。それは彼の息子ジンが入院している大学付属病院で、研究室から歩いて十分程の距離にあった。ジンは体が麻痺しベッドに寝たきりとなってはいるが、幸いにも意識はしっかりしていて、会話はできる状態であった。ユースフは九歳の息子に、その年齢の子供に必要な知識をつけさせようとジンが入院して以来、どんなに忙しくても毎日病院に通い、ベッドサイドで算数やウリグシク語を教えていた。早く妻を亡くし彼一人で育てた息子に対して、今父親として出来る精一杯のことであった。
「ジン、今日は算数をやろうか」
「算数より、歴史の勉強がいいな」
「歴史か。パパの専門だ。それなら今日はこのあたりの不思議な出来事の話をしようか」
「うん、聞きたい」
「これは、この国の言い伝えなのだが。千年位前の話だ。この辺りは、サラギドという国に攻められた。そのサラギドは東の方から攻めてきた。そのころこの辺を治めていた国王は平和を愛していて、この国の人々も戦いは得意でなかったので、草原の向こうから地響きとともに馬に乗って来たサラギドの兵隊が大きな刀を振り回し、火のついた玉を投げつけたりすると人々はすぐに降参してしまった。だがサラギドの兵隊たちは長くはここに留まらず、直ぐに西の方に向かって去ってしまった。しばらくこの辺は平和になったが、そのことを忘れそうになるころ、またサラギドの兵隊がやって来て、建物を壊し、畑を荒らし、そして人々を殺したり連れ去ったりした。そこでこのあたりの人々は昔からこの地に住むと言われる魔物を呼び出すことにした。その魔物は人間の姿をしているが、真っ黒で一番背の高いトチノキよりも大きいと言われていた。この地に住む者たちが、近くの山に育つ赤い花の草の根を煎じて飲み、ピカピカに磨いた鉄の鏡を前に置き、魔物の姿を思い浮かべながら何時間も祈ると、やがて突然の大嵐とともにその魔物が現れ、目にするものすべてを襲い殺してしまうと言い伝えられていた」
そこまでベッドでじっと話を聞いていたジンがユースフに尋ねた。
「魔物は敵だけでなく、味方も襲ってしまうの?」
ユースフはジンを怖がらせてしまったかなと思いながら続けた。
「そうなのだ。でもこの魔物を退散させる方法もあったらしい。それはこの高原にだけ育つ青い植物の葉を煎じて飲み、皆で鏡に向かって祈れば魔物はおとなしくなり、やがて消えると言われていた」
ジンはそれを聞いて少し安堵の表情になった。
「ともかくも、ある日このあたりの人たちはサラギドの兵隊が攻めて来るという噂を聞いて、赤い花の草の根と鏡を揃えて、魔物が自分たちの家を壊さないよう村から離れた場所で、魔物を呼び出す準備をした。ただ、魔物を消す青い植物は見つからないので魔物は最後の手段として呼びだそうと考えていた」
「それでどうなったの」
ユースフはどのように結末を話そうかと一瞬迷ったが、結局は知っている通りに話すことにした。
「やがて、サラギドの軍隊がやってきて、村々をめちゃくちゃに壊し、女の人や子供を連れ去ろうとした。人々は戦うことはせず、必死に許してくれるように頼んだが、聞き入られなかった。一人の若者が自分の婚約者を連れ去られそうになり、耐えかねて決めていた祈りの場所に行き、赤い花の草の根を煎じた液を飲み、村から持って来た代々伝わる大鏡の前で祈り始めた。やがて他の人達も若者にならってそこに行き一緒に祈り始めた」
そこでユースフは話を止めた。
「それからどうなったの。魔物は?」とジンが尋ねた。ユースフは続けた。
「結局、魔物は現れなった。祈っていた若者はサラギドの兵隊に殺される前に、気がおかしくなっていた。サラギドの兵隊たちは、村をすっかり壊し引き上げ始めた。その時、突然、大きなキノコのような黒雲と雷が発生し、ものすごく大きな竜巻が出て来て、何もかも……、サラギドの兵隊や村人も、兵隊に壊された村の家々も、牛や馬も空に吸い上げられ、そして地面に落ちてばらばらになった。この辺りはその後長い間、人の住まない荒れた土地となっていたらしい」
ジンは少し青ざめた顔になって言った。
「怖い話だね」
ユースフはジンを安心させようとして付け足して言った。
「でも、それからだいぶ経ってこの土地にパパやジンのご先祖となる若い家族がいくつも移り住んで来た。彼らは元気で楽しい村を築いて今になっている」
「よかった。魔物は、今はもういないんだね」
「そうだよ。遺跡の石に刻んであった話だからね。今はもう魔物はいないよ」
ジンは少し笑顔になって言った。
「パパ、今日の勉強は面白かったよ。また聞かせてよ」
暫くするとジンは静かな眠りについた。しかしジンはそのまま眠りから覚めずその夜昏睡状態に陥った。


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