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自己認識は、いつから持つのか?~自己理解の高め方を考える~

こんばんは。Mickey★です。
1月もだいぶ過ぎていますが、人によっては明日から出社という人もいるのではないでしょうか?
私は、5日を休もうかなと思っていたのですが、仕事が多く重なってしまい、結局、5日、6日のみならず、7日もガッツリと働いておりました。そして、昨日、今日も無理なスケジュールで仕事をしてくれている協力会社さんからの問い合わせに対応をしており、すっかり仕事モードです。

お正月は、実家に帰り、ゆっくりと過ごしていたのですが、弟の家族とはZOOMを繋げて、新年の挨拶を交わしました。
弟の娘(2歳半)が、パソコンの画面に映っている自分の顔を立ち上がって、わざと見えなくして、「消えた~」と喜んでいました。
その時にパソコンの画面に映像で自分が映っていると理解できることに驚きました。こんな小さい時から、自分が認識できるものなのかと思い、実際、いくつくらいから人間は、「私」という概念を持つのかを調べてみました。

鏡を見て、自分だと認識できるのは、知能の高い動物しかできず、猫や犬は鏡に映った姿が自分ということを認識できないことが書かれていました。
チンパンジーは、鏡に映る姿を自分と認識できるようです。ただし、チンパンジーでも、他のチンパンジーと隔離して育てると鏡に映る姿が自分だと認識できないことが実験結果から分かっています。(Gallup,McClure,Hill,&Bundy(1971))

そして、肝心の人間に関しては、2歳前後で自分であることを認識するようです。
哲学者のデカルトは、「我思うゆえに我あり」という言葉を残していますが、この言葉は、意識の内部(私)と外部(私以外)を切り分け、意識の内部を発見したということのようです。(解釈は哲学者によって、様々な捉え方があるので、この解釈が絶対ではないです)
ただし、この鏡の話から考察すると、自分を認識するには、同じ生物の種族で他者の存在が必要であり、それまでは自己と他者の区別もできないと考えられます。要は、意識の内部と外部の切り分けは、自己と他者の区別が出来るようになって、初めて生まれる概念だということです。

このことは、人間がいかに社会性を伴った動物であるかが、よく分かります。更に自分を理解するためには、他者を介してしか、理解し得ないことも分かると思います。自己理解は、様々なコミュニティを通して、理解できるようになりますが、同質のものより異質のものを自分の近くに置くことによって、自己理解が進むように感じます。
今の社会では、同質のものには簡単にアクセスできるようになっていますが、自分自身で、関心がないものを調べてみることも重要だと感じます。


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