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町内会の役員に立候補したけど。

町内会の回覧板を見ると、次年度の役員に関する通知が入っていた。

役員は、会長、副会長、会計、書記の4名があり、立候補制だ。
ただし、立候補者がいない場合、抽選になる。
また、一度役員を経験すると、全ての家庭が一度ずつ役員を経験するまでは免除となる。

私たちは、新興の住宅地に住んでいて、全家庭が町内会に加入することになっている。対象は50世帯ほどだから、12年ぐらいに1度は役員が当たることになる。

わざわざ役員をしたい家庭はない。ただ、家族のライフプランを考えて、どうせ、いつか当たるなら、今のうちに、と考える家庭も結構多い。

通知を見ながら、夫のユウ君に言った。

「ねえ、町内会の役員に関する通知が入ってたよ」
「そんな時期だね」
「立候補してみようかな。4月からケンスケは年長。もう1年経って小学校に入ると、色々バタバタしてきちゃうかな、と思って」

子どもが幼稚園に通っている生活には慣れた。
私は専業主婦で、パートも行っていない。
結構空いた時間も持てているので、今なら町内会の役員をするぐらいの時間的、精神的余裕はあると思った。
1年先になると、どうなるのか分からない。

ユウ君は、ケンスケが食べ残した食パンのミミを、口に放り込みながら言った。
「ケンスケが小学生になったら、パートとかすることになるかもしれないしね。良いんじゃない」


書記に立候補します。と通知に記載されていた現役員の連絡先にメールを送ると、すぐに承知した旨の返信が届いた。
会長とかは荷が重い気がするが、書記ぐらいはがんばればできるだろう。


数日後、現役員からメールが届いた。
書記に立候補した人が他に一人いて、その二人の間で抽選することになった、という内容だった。
抽選は、今週末に行われる。

「ユウ君、町内会の役員の話なんだけど。立候補した人が他にもいて、抽選で決まることになったみたい」
「ふーん」
「抽選は日曜日だよ。私、行ってこようかな。家族のために当選を引いてきます」
私は少しおどけて言った。

ユウ君は少し笑った。
「ありがとう。でも、今回は辞退してもいいかもね」

え?

「ウチはどうしてもやりたいということではなくて、まあ、できれば今年やっておきたいな、というぐらいじゃない。他に立候補した人は、どうしてもやりたい、と思っているかもしれない。抽選に行って、ウチが当選したときに、その人がどう感じるかな」

「その人の状況までは分からないけど」

「うん。分からないけど、少なくとも、オレたちが辞退することで、その人は自分の希望が叶うことになる。喜べるじゃん」

なるほど。
なんだろ。大したことない話が、やたらと心に響く。

「こういうことは、結構、大きなギブでもあるんだ」

自分にとって喜ばしいことのために、行動する。努力だって、抽選に参加だって。
それが良いことだと教わり、信じて生きてきた。
どんなことだってそうだ。

でもそれは、見方によると、弱肉強食。強き者が利益を得る、ということ。
他人に譲る、という生き方もあるかもしれない。

でも、それじゃあ、生きるのがむなしくならないか。。。

「ねえ、受験勉強がんばって、合格すること、とかはどう考えるの?誰かに譲ってたら自分の望みは叶わないよ」
私は聞いてみたくなった。ユウ君はどんな答えを持っているんだろう。

「受験とかは、自分の望みが本当にあるのなら、がんばって合格したらいいんだ。そして、合格できたら、その環境に身を置けたことに感謝して、合格できなかった人の分まで、世の中に貢献できる力をつける。それが、合格できなかった人に対して自分のできることだよ」

私は、自分が大学受験で第一志望校に入れなかったことを思い出した。
1年後、その大学に入学した同級生に会うと、大学生活に対する不満を聞いて、なんだかとても残念な気持ちになったことを思い出した。
私が行けなかった大学に行けたのだから、もっと喜んでいてほしかった。充実していてほしかった。

「お金稼ぎは?他の人からもらったりするよ」
「本来、お金を稼ぐことを目的にしない方が良いと思っている。他人のために何かをして、その代償がお金という形になっている。もちろん、お金は大事だし、多く稼げたらいいんだけど、それは行動の結果で、後から付いてくるものなんだ。働くこと自体は世の中に対してギブのはずだよ」
「分かるけど、キレイごとにも聞こえるよ」

「そう聞こえるかもしれない。でも、そう考えられないのは、人間だけな気がするんだな。未来を考えてしまう特性を持っているから、色んなことを考えてしまうんだよ」

これ以上話してもついていけないような気がして、私は話題を変えた。
ユウ君もそれ以上話さなかった。

世界は広くて、色んな考え方がある。

5歳のケンスケを見ながら、自分もこの子と同じで、まだまだ何も知らないかもしれない、と思った。

私は、役員を辞退する内容のメールを送った。

なんだか、気分が良かった。
良いことをしたような気になれた。

何もしてないけど、世の中のために何かをしたような気になった。



共存とはどういうことでしょう。
自分が得る、または他に譲る、ということはどういうことでしょう。

人は、他の生き物の犠牲の上で生きています。

動植物を食べ、虫を殺し、殺菌し、ウィルスを駆除して生きています。
それを、平気で、ニコニコと笑顔でしています。

人間同士でも、常に競争しています。
勝った、負けたを繰り返し、誰かよりも上になるように努力しています。
自分の成功の影で、力及ばず、悲しい気持ちになっている人たちがいることも知っている。
知っているけど、やめられない。

他の人より、自分の喜びを優先する。
それで幸せを感じている。

こんな残酷な一面を持っているのが人間です。

他の犠牲の上に成り立つ生き物です。

そんなこと考えると、生きていること自体が悪いことじゃないか。辛いことじゃないか。苦しいことじゃないか、と思ってしまうかもしれない。

でも、だからこそ、正しい気持ちを持って、日々を歓喜して、物事に感謝して生きていくのが良いんじゃないでしょうか。

この瞬間に生きている喜びを感じて、
自分は生かされている、というありがたさを感じて、
勝つとか負けるとか、
多いとか少ないとか、
そんなことを必要以上に気にしないで、
自分のため、人のために、瞬間を生きていく。

生きる、ということは突き詰めると、そういうことじゃないかな、と思うんです。

自分は何かの犠牲になっているなんてこともなくて、互いに存在している。

共存している、と思っています。



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