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【オンライン展覧会】 しずえ.T 絵画展

本日1月25日は母しずえの誕生日。
母が亡くなってから6年と少し、昨年は実家じまいをしましたが、画材や母の描いた絵がたくさん残されていてました。

それらを片付けねばならなかったのは気が重く心痛でしたが、心を決めて少しづつ処分していき、兄たちが1点ずつ私が数点引き取り、残り全て処分しました。
最後の頃まで残しておいた作品を、せめてもと写真に撮って残したのでそれを使って、母を偲び、娘として絵を描く友として、母の最初で最後の個展を開催することにいたします。
母が楽しんで描いた趣味の絵ですが、ご覧いただけたら幸いです。

母しずえについて
小さい頃から絵を描くのが好きで、お絵描きし本を読んで過ごすような子供だったけれど、体が弱いこともあり絵を習うことはできなかったそうでした。

戦争で空襲にあい、疎開した先で終戦を迎え父と出会い結婚し、4人の子をもうけ、末子(私)が中学生の頃にようやく余裕ができたのでしょう、油絵を習い始めました。
画家の先生が主催の油彩サークルのようなもので、自宅でも好きに描いたり、錠剤一粒飲んだらご飯を食べすにすんだらいいのに、などと言いながら時間を惜しんでコツコツ絵を描いていました。

その傍ら、生き物大好きで野良猫を飼いまくり猫や雀やメダカに餌を食べさせ世話する時間は惜しまなかった母ですが。私も猫用の焼き魚の骨とりを毎日手伝いました。(笑)

名画が来ると知れば私を連れて美術展を見てまわり、ずいぶん元気に行動的なって行きました。サークル仲間とスケッチ旅行などにも出かけ楽しんでいました。陶芸や書道も始め、書道は孫と一緒に長く続けました。

そうして元気に過ごしていましたが、突然ネフローゼという腎臓の病気を発症し数ヶ月入院し後も生涯通院、他の病気でも入退院を繰り返し、それでも描き続けました。(野良猫飼いも続ける)

80代になり、胆管癌だと研修医により突然告知を受けたショックからか認知症が進み(3年後に他病院で癌ではないことがわかる)次第に描けなっていきました。
最晩年に足が弱って、アトリエとしていた2階の部屋に行けなくなったとポツリと言って笑いました。押上げようかと言ったら断られ。
デイサービスで塗り絵をして褒められても黙っていた母、本当は塗り絵を絵ではないと思っていた母。母らしく感じられました。

そんな風に好きな絵を描けてまあ幸せな人生だったのではないでしょうか。

私の自己満足ですが、追悼と感謝を込めて母の個展を開きます。
寒いこの頃、どうぞ暖かくしてご覧ください。

1. モデルはマリ。だいぶ古い作品で現存せず、写真しか残っていません。残しておきたかったな。
2.マリ3匹。ちょっと顔が怖いぞ。
マリの名は海色の目からマリンと、マレーネディートリヒから。
3.しっかり描いた作品で体力があるとき。自宅でモチーフを組んで描いています。
4.改めて見ると、結構好き。庭の花を活けた壺は母作。
5.これもじっくり描いています。
6.ボンがテンカンの発作でこの絵に激突、棚などと倒れたため傷だらけ。これも思い出。
.昔は、この辺りではワラボッチが見られました。刈り取ったわらを積んだもの。
8. 油絵サークルで写生旅行。とても元気だったころ。
9.このおもちゃのピアノで私は幼児の時遊んでいました。
10.ポピーも好んでよく描いていました。晩年の作
11.絵に登場していた母の陶芸作品。武骨なところが魅力。
12.白い百合は母が好きな花。三番目の兄がこの絵を好んで所望。
13.晩年になると、早描きでサラッと描いています。
サイズもF5やF6くらいの小さめのキャンバスばかりに。
14.晩年の作品。13と同じ花瓶。モチーフが同じ物ばかりになるとこぼしていました。
16.晩年の作品。私のイタリア土産の人形。よくモデルになりました。
17.しめはラピスの絵。もちろん私の元にあります❤️(^^)

ご覧くださってありがとうございました。m(_ _)m

私が絵を描いているのは母の影響が大きいのですが、今回改めて思い返して、その一筋の熱意に自分は負けている気がします。
私もまだ描いていきます!(^^)


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