20240508 感情、勘定

5月8日。
いつまでこんな人間で居るんだろうと、ふと我に返る瞬間に鬱が戻ってくる。
気圧が悪い。雨が降っている。ほとんど天気のせいだ。コンサータを飲んでいないから。どうせ疲れているだけだろう。そろそろPMSの時期だろうし。

なるべく事実と感情を分け、後悔のない選択をして、やりたいようにやっていると思い込んでいるが本当にそうなんだろうか。昔と何も変わっていないんじゃないか。損得とか正誤とか後悔の有無とか、そういうものはどうでも良くて、ただ、
ただ、何だろう
格好付けずに続く言葉を考えたところ、「安心したい」しか出てこなかった。自分の鬱を認めてくれる人の、優しさのガワを被った無意味さに包まれたい。一緒に泣いてくれる人が欲しい。それを探す努力はしたくない。変わる努力をしたくないのに、“愛され”の形をした何かに縋ろうとする。結局その辺の特につまらないメンヘラ女と何も変わらないのだ。

いつも自閉性と寂しさが同時にある。
繁華街で心に隙のある顔をして歩いているとそういうのを専門にしている輩に直ぐに目をつけられるが、それに着いて行ったほうが幸せだと思う。
じゃあ今の状況はそれとは違うかと聞かれたら正直だいたい同じような気もするが、盲目的なやり甲斐のようなものは無い。とにかく相手の為に、と狂っている同性が寧ろ羨ましい。それが愛かは知らないけど、少なくともそう誤認できるくらいのある種の情熱っていうのは素晴らしいと思う。
愛、金、夢。それらを追いかけている人はよく馬鹿にされるが、何にも無いよりはマシだ。何にも無いと翌日予定があるのに自殺を考えたり、敢えてこうしたらどうだろうなどという試し行為や破滅を想像してしまう。

また明日。

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