セゾン・サンカンシオン読んだよ【読書感想文】

 今年4月に出版された前川ほまれさんの小説『セゾン・サンカンシオン』読みました。アルコール、ギャンブル、万引き、自傷行為など様々な依存症を抱えた女性たちと、その家族や支援者を描いた物語です。全5章から成る短編集かと思いきや、それらに登場する当事者たちを繋ぐ1人の支援者にもスポットを当てた作品でした。それでは、どのように繋がっていたのかを記します。

 まず、当事者を繋ぐ支援者(塩塚さん)についてお話しします。塩塚さん自身も夫の育児への無関心と評価の低さから、アルコールへと依存していった経緯を持つ当事者でもありました。そんな塩塚さんは、家族が当事者を責める言動を否定せず、客観的な事実を伝え、当事者への不寛容を紐解く手助けをします。恐らく塩塚さん自身に「手助け」という意識はないのでしょうが、自分がその不寛容に苦しんだ背景があるのにも関わらず、最後まで話を聞く姿に、プロ意識を感じてしまいました。その人がなぜその言葉を選んだのか、それで何を伝えたいのか。相手にどう接すれば、解決することができるか。私の言葉が誰かの思いを掻き消すことのないようにしないと、と思いながら、会得には程遠いなぁとため息が溢れました…。

 2つ目に、当事者の多くが"弱者"であった点です。彼女らが依存症に陥るまでに、様々な形で何度も発されたSOSを誰もキャッチできなかった。今でこそ制度が拡充されつつあるものの、その制度に繋げられるのは、やっぱり周りの人達なんじゃないかと思います。依存症は個人の怠惰ではなく、社会の問題がもたらしたもの。この手の問題に、貧困や排除などが複雑に絡んでいるのは「当たり前」となりつつありますが、社会に生きる全ての人には決して他人事ではないと、もっと理解が広まればいいなと思います。「人によって障害の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか」(MIU404より)。

 なんていう綺麗事だけで人の考えが変われば、そんな楽な話はないですね。怠惰じゃないと分かれば、次はもっとおトクな話をしましょう。
 物語に登場するような、「社会のお荷物」なんて言われる人達を差別したり隔離したりするより、寧ろ、治療して社会復帰した方がお金がかからないんですって。そりゃそうだ。復帰したら税金を遣う側から払う側になるんだし。それと、依存症者と向き合うのは非常に負荷がかかるため、家族や周りの人は自分にかかる負荷を減らすために支援に繋げた方がラクみたいです。家族だから面倒を見て当たり前、とは、言えないと思います。(その人達が「お荷物ではない」のではなく、お荷物なんて存在しないんですけどね。その話は今しなくていいや。)

 さて、最後に、タイトルにもある「サンカンシオン(三寒四温)」について書きます。
 三寒四温とは、寒い日が3日くらい続いて、そのあと暖かい日が4日くらい続くサイクルが続く、という気象用語だそうです。
 物語の女性たちも、自分を責め依存に走る地獄の日々(三寒)から、プログラムや塩塚さんらとの出会いを経て(四温)、また逆戻りする(三寒)…と、依存症を再発させる姿が詳しく描かれていました。再発はネガティブなこととして捉えられますが、塩塚さんは「逆戻りしたことよりも、正直に話してくれたことの方が何倍も価値がある」と言っていて、その言葉が深く刺さりました。支援者らしい一言だな、と。

 母の「なんか本借りてきて」というお達しで、適当に借りてきた本でしたが、読んでよかったです。

 この調子でいろんな本を借りれば、母の考えを誘導できるのでは…?と思ったので次は「現代優生学の脅威」を読ませようと思います。

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