分岐点【MIU404感想】

菅田将暉ANNライトリスナーのみっこです。好きなコーナーはショートシャンクの空にです。ゲラゲラ笑えるラジオなので是非。

MIU404第3話観ました。成川岳を演じた涼鹿央士さんは、『蜜蜂と遠雷』の風間塵役で出演されていたみたいです。通りで見たことあると思った。印象的な顔立ちとリアルなお芝居がとても魅力的でした。20歳の時にしかできないお芝居をされている気がして、それを見られる時代に生きてよかったと思えました。(本名なのかな、漫画の主人公みたい)
それと、犯人役の岡崎体育さんも最高に気持ち悪いお芝居でした。(褒めてる)  ちなみに岡崎体育さんの楽曲で一番好きなのは『龍』です。彼の音楽に対する思いが少しだけ分かる気がするからです。
そして、今回はなんと言ってもラスト90秒。登場の瞬間から感じる嫌悪、不快感、苛立ち。それまでの感情を全て無に帰す、圧倒的存在感。やってくれるぜ菅田将暉。次回からの不快感が楽しみです。
作品自体の感想は言うまでもなく最高の一言で、昨日MVが公開された米津玄師さんの『感電』も是非ご覧頂きたいのですが、私が記したかったのはそれではなく。

今回のテーマである、少年の非行についてです。

◆彼らに批判は必要か?
みっこ家ではいつも、MIU404を母と姉と視聴するのですが、しばしば母と意見が対立しています。
昨日の回を観て母は「少年たちは『本当に悪い』と分かっていない、遊び感覚で大人を弄んでいる」という趣旨の感想を述べていて、少年たちに強い憤りを感じていました。それに対し姉と私は「寂しくてやっている。その寂しさに目を向けず、罰することばかり重視してきた大人にだって責任はある」という意見で、一定の共感を示していました。

確かに高校生は悪いことをしました。その事実は変わらないし、きちんと指導を受ける必要があると思います。ですが、犯行の理由に当たる「寂しさ」や「悔しさ」すらも否定してしまっては、彼らはその気持ちを抱えたまま大人になってしまうのではないでしょうか。彼らに必要なのは、咎めではなく、愛情や理解なのではないでしょうか。
この時「自分だってそういう時期を乗り越えて、我慢してきた。その頑張りが報われない」と思う方もいらっしゃるかと思います。

それも非常に理解できますし、私もどちらかと言えばそちら側の人間だと思います。非行とかしたことないし。
だけど、私が非行に走らなかった理由は、周りに恵まれていたからです。私のおかげではないと思っています。

その人たちが居るから、辛いことばっかりで嫌になるけど頑張れることが何度もあったからです。

いつの時代も10代の子どもたちは、戦争や教育改革、政治不安など、大人の都合に振り回されています。今の情勢だってそうだと思います。もう戻ってこない青春を奪われ、受験改革に翻弄され、学習格差が広がり、それ故に起きたとも言える非行を「自己責任」を押し付け偉そうに咎める資格はどこにあるのでしょう?

…ヒートアップしてしまいましたが、私は上記の価値観を押し付けるつもりは毛頭ありません。そして、多くの憤りや不満を抱える人たちを否定するつもりもありません。

第3話のタイトルにもある「分岐点」とは、更生できるだけの環境があるか無いか、だと思います。
「自分は非行に走らなかった」と胸を張って言えるのであれば、色んな理由で走ってしまった後輩たちを導く力はあるはずです。

だから、私は「環境に恵まれた」という一種の「才」を他人のために使いたいと思います。

こう書くとカッコいい感じがしますが、ただ"私がそうしたい"という謂わば「私利私欲」を満たすために、自己中心的にそう生きたいだけです。知りもしない不特定多数の他者に対して無性の愛なんて注げません。

これを導入にして、さまざまな支援やそれに携わる人への思いを記したい気持ちでいっぱいですが、それはまたいつか。

4話以降も楽しみにしています。

最後に。\いいよ!星野かっこいいよ!/

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