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完璧主義者は「心のロッククライマー」そこから解放される方法‼️

繊細な私が完璧主義から解放された方法をお伝えします。

やっと最近、レシピ動画を楽しみながら見ることができるようになった私。それまでといえばレシピを見ることさえできませんでした。だってプロのように完璧に作ることができないから。

お料理でいうなら「塩コショウ少々」なんて絶対にやめてほしいと思うのは私だけでしょうか。少々って何なの?あなたの少々と私の少々は少々違うと思うんですけど…と心の中が忙しくなってしまうのです。「塩ひとつまみ」も心にさざ波が立ってしまう…

周りの人に言うと「そんなの気にしすぎだよー」と言われることはわかっています。だって、こうして書きながら自分でも「どれだけ細かいのよ」と思っていますし、自覚しています。だから誰にも言わない。いや、言えない。書いてはいるけど…

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そういえば20代の頃、彼にオムライスを作りたいと思い立ち、一週間徹底して練習したことがありました。もう卵を見るのも嫌になるくらい。
そしていよいよ本番当日、

「オムライスでも作ろっか」

当時は今よりも強烈な完璧主義だった私。
こんなに毎日練習してきたことは一切言わず、さりげなくパパっと作れますわよという感じで言ったところ

「じゃあ、大盛りでー」と軽い返事が。

え????????

ちょっと待ってよ。この一週間の私の想定になかったセリフ。「お・お・も・り」ってなんなの?わーわーどうしようどうしよう…


結果、動転しまくり炊飯器から卵の上にご飯を
ドーン‼️一体何がなんやらどうなったのかよく覚えていないけれど、とにかく仕上がったオムライスもどき。

「いただきまーす」

彼がスプーンにすくった一口を大きく開けた口に運ぼうとした瞬間、私はそのスプーンとテーブルのお皿を取り上げゴミ箱に投げてしまったのでした。

今でも時々あの時の口を開けたまま静止画像のようになっていた彼の姿が頭に浮かぶ…
心の痛い思い出。

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いつも心にエベレストを抱えている

完璧主義の傾向がある人っていつも心の中でエベレスト登頂にチャレンジしているのではないかと思うのです。こういう感覚があるのは私だけでしょうか?この世に仲間がひとりでもいてくれると嬉しいのですが…

先ほどのお料理で例えるなら
「さ、お料理しよう」と思うと同時に

●失敗したらどうしよう
●ちゃんとレシピ通りに作らなければ
●千切りの大きさはきれいに揃えなければ…
●間違えたら怒られる

無意識のうちに完璧を求めてしまうため、ほんの1・2秒くらいの間に目の前にまるでエベレストかのように感じられるほどの大量の恐怖や不安の山が立ちはだかるのです。
その恐怖や不安の山を越えた先にある「醤油 大さじ1」「みりん 大さじ1」そして恐るべし「塩コショウ少々」

実際にお料理をするまでに心が忙しすぎるのです。というか、恐怖と不安のエベレストにチャレンジしようとするだけで疲れ果ててしまう。必死の思いでなんとか乗り越えたとしても、その先の「塩コショウ少々」で文字通り匙を投げてしまうという…

だから、いつの間にかチャレンジするということ自体が怖くなっていき「お料理苦手意識」が膨らんでしまうのです。

「ああ、私は何もできない」

全ての事に対してずっとそんな気持ちで生きてきました。いくらどれだけ頑張っても結果として「私は何もできない」に着地してしまう…

これ、なんとかしないと生きている心地がしない…悩みは深まるばかりでした。

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ポイントは「楽しかった感覚」

何事もコツコツ積み重ねるしかないよ。
ちなみに私はこのアドバイスが苦手です。
だって、いきなり完璧なんて無理だということは十分わかっているのですから。我々心のロッククライマーは、それをわかりすぎるほどにわかっている上で、それでも心の片隅で「完璧」を目指してしまうから困っているのです。

婚活だってそう。「私が完璧じゃないから結婚できないんだ」と思い込んでいました。

そして、私はこの完璧主義や生きづらい性質をクリアするために、様々な方面のプロの力をお借りしつつ15年という年月と多大なるコストをかけて自己分析と追究を徹底してやりました。結果としてよかったけれど、正直言って私のやり方は遠回りで要領が悪すぎたと今となっては思っています。なぜ遠回りだと思うのか、理由は2つ。

① 「完璧主義と繊細さ」を完璧に克服しようとしてしまった。
② 暗い過去と繊細に向き合い過ぎて問題がより大きくなってしまった。

完璧主義すぎる私が掲げる目標はもちろんのこと「完璧なもの」その状態と今の自分の差が大きすぎて、精神的な負担と疲労がハンパない。その上、掘り下げていくと原因となる過去は暗くツラいものばかり。完璧主義な上に繊細な私は、その過去の思い出を繊細に思い出してしまい、心がズタボロになることも…

ですので、もう少し良い方法で日頃からハードル低めでチャレンジできそうなことはないのかなと。

ということで、ここからは自己流ではございますが、私がやってみてよかったことをシェアさせて頂きたいと思います。

もちろん「繊細さ」「完璧主義」といっても十人十色。私の考えを押し付けるつもりはありません。だけど、これを読んでもしあなたの心がニコッとしたら是非採用して頂ければと思います。

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完璧主義からラクに解放された方法

結論からお伝えすると
①そのことにまつわる「楽しかった感情」を思い出すこと。
②そしてその感情をコピペする。

もう少し詳しく説明させて下さい。

①「楽しかった感情」を思い出す
1つだけでもほんの小さなことでもいいので楽しかった「感情」を思い出すこと。
どうしても思い出せない場合、もしくはないという場合はそのことにまつわるドラマや映画で感動した時の「感情」でもオッケーです。

私の場合ですと4歳くらいの頃に母がパンを焼いてくれた時の思い出。
「ほら、できたよー」と言いながらオーブンから取り出したばかりの焼き立ての小さな丸いパンの香ばしい香りと母の笑顔が物凄く嬉しかったこと。今これを書きながらもその時の感覚でニッコリしてしまいます。繊細系の私の人生で数少ない「本当の笑顔」になれた思い出です。

「楽しかった感情」を思い出すことができたら、それをまずじっくり味わってみて下さい。じっくり細やかに味わうと心の底から喜びが湧き上がってきませんか。繊細な人って、良いことも繊細に思い出すことができる、それがメリットなんですよね。

②感情をコピペする
じっくり「嬉しい感情」を味わうことができたなら、その感覚のまま、今クリアしたいことに取り組んでみて下さい。

私の場合ですと
▶子供の頃の嬉しかった感情を感じながらレシピを見てみる
▶お料理をやってみる

そんな感じです。何度かチャレンジしてみると、過去の嬉しい感覚がいつの間にか今やっていることの楽しさへと移り変わっていきました。ずっと苦しめられてきた心の中に高くそびえ立つエベレストが富士山に、そしていつの間にか天保山(日本一低い山)になっていました。

驚くことに、最近ではお料理が上手いかどうかは別として「楽しいもの」という感覚に明らかに変わりました。レシピを見ていても、下手な千切りをしている時でもあの頃の感情が蘇り、幸せな感覚を味わいながら楽しむことができるようになりました。

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繊細さや完璧主義を乗り越えようとすることは「大変なことを克服する」というネガティブな方向へと陥りがちです。もちろん辛い過去と向き合わざるを得ないことも出てきますが、可能な限り視点を変え、楽しみながらクリアしていく工夫も大切だと思います。

もちろん誰にでも当てはまる提案ではないと思いますが、もしあなたも私のように「心のロッククライマー」になっていらっしゃるなら、私の経験を参考にして頂けるとうれしいです。

感謝を込めて
ミチヨ

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