地方を滅ぼす「成功者への妬み」のひどい構造

という記事を知人がシェアしていたので引用。

ひとつ前提として伝えておきたいのが、僕は《成功者》ではないです。

だから表題の「成功者」=自分ではありません。

ただこの件に関してはとても共感ができます。

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今回は地方に巣喰う、複雑な「妬み」の問題について考えてみたいと思います。

すばらしい成果や業績をあげた人の共通点は「地元から離れれば離れるほど、その評価が全体的に高くなる」傾向にあります。一方で、肝心の地元では、たとえ大きな成果をあげたとしても、そうした事業は「賛否両論」になることが一般的です。普通なら「成功に続け!」となるはずなのに、その成果を讃えつつ、困難な事業に挑戦する者を育てる、という話にはなりません。

【挑戦者を「馬鹿」と言い、成功者を「ずるい」と言う土壌】

その地域から若者がいなくなり、挑戦者が去る衰退の背景には、「教育的な問題」「経済的な問題」といったものを生み出す、極めて心情的な問題が存在しています。とりわけ「地域活性化の壁」とも言えるのは、挑戦者を支えず、成功者を引きずり降ろそうとする「妬み」とも言える人間関係がそこに存在します。

皆さんもご存じだと思いますが「よそ者・若者・馬鹿者」という有名な言葉があります。地域を変えるのに必要なのは「地域外から来る人」「若い人」、さらに地元では「馬鹿と言われるほど愚直に何かやる人」という意味の表現です。私はこの表現がまったく好きではありませんが、それはさておき、地方活性化分野でよく使われ、もてはやされます。

実際、さまざまな困難に挑戦する地元人材は、いい意味で「馬鹿だ」と言われるのが前提なのです。確かに、従来からのやり方で衰退をしている地域で、新たなやり方を作り出し、挑戦するのは短期的に見れば地域内で批判され、割に合わない「馬鹿な行為」と言われれば、そのとおりです。

しかし「馬鹿な行為」と決めつける人は、極めて個人主義的な考え方で、「自分にとっての損得」でものごとを考えているのです。短期的にはマイナスでも、中長期的、あるいは地域全体という視点に立てばプラスになる挑戦であり、挑戦者を「馬鹿」と言ってしまってはその地域には未来がないわけですが、地域の中では「あいつは馬鹿だ」と言ってしまう困った状況があります。

さらに、困ったことに、挑戦者が成功すると物事はさらにこじれます。

成功者は「すばらしい」と言われるのではなく、「あいつはずるい」と言われてしまうことが多くなるからです。当然ながら、地域における事業は万人にすべて均等に富を配るようなものなどありませんし、不可能です。公の行政事業でさえ受益者の濃淡は出るわけで、それが民間事業であれば、「できるだけ多くの人にかかわってもらおう!」と考えたところで、当然ながら個々人の受益には差が出ます。自分たちが恩恵にあずかれない事業で成功すると、「あいつらだけずるい」となって足を引っ張り、どうにかして失敗させようと試みたりするのです。

【「うわさのある人」というレッテル貼り】

風説の流布で人格否定をして潰す

さらに最悪の場合が風説の流布でしょう。「気に食わない」ということで怪文書やネット掲示板などにあることないことを書いて、挑戦者、成功者を陥れようとします。

こういう場合、地元議員が事業に絡んでいることが少なくありません。議員が直接、あるいは間接でも信憑性のないことをもとに議会で「黒いうわさがある」などといって質問して、さも実際に発生しているかのような事実へと仕立て上げてしまったりします。また地元のメディアも息がかかっているか、あるいはニュースが少ないため、いざこざがあると批判的論調で取り上げてしまうこともあります。問題なのは、事業の内容だけではなく、安易な人格攻撃に政治、行政、メディア組織が便乗するケースがあることです。

結局、地元では「触らぬ神に祟りなし」ということで、せっかく頑張っていても「うわさのある人」というレッテル貼りがなされ、多くの人が離れていき、仕事に大きな支障をきたすこともあります。時に、精神的に病んでしまったり、病気で倒れてしまう人さえいるほどです。

恐ろしいことに、こういう場合、ほとんどのケースでは地元の一部が騒ぎ立て、多くの人は無関心です。仮に事情はわかっていても、頑張っている人が潰されていく姿を、黙って見ていることが多くあります。そこには「自分には関係ない」と無関心を決めこんだり、心のどこかで挑戦者が失敗する姿に安堵したり、成功者がたたきのめされる姿を期待するという心理もあるでしょう。

挑戦者を支え、成功者を称えることが地域を発展させる

もちろん、どんなにひどい妨害策を受けても確たる覚悟をもってその地元で事業を継続し、仲間と大きな仕事を成し遂げる成功者・挑戦者もいます。

挑戦も成功も、つねに孤独から生まれやすいものです。だからこそ地域において互いに支えながら挑戦し、成功を讃えながらさらなる成功を目指す構造をつくれるか否かが問われます。妬みで新たな芽を潰した先に、「地域の未来」などはありません。他人の挑戦を明るく支えられるかどうか。これが、地域の未来を支えるのです。

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−ご拝読ありがとうございます。

そういう事らしいです。

ここからは記事に対する僕の感想。

世の常として、ひとつの出来事に対して賛否両論あるのは当然だと思います。

選挙で100対0で勝利するって聞いたことないし、みんな持論があって当然ですから。

ただ、それ以上の攻撃は必要ないと思います。

論争までは良しとしましょう。その先の「ありもしない噂」や「執拗な妬み」は何のためにするのかわからない。

色んな素敵なお店の方と会う機会が増えるにつれ、いいなぁ〜羨ましいなぁ〜という気持ちは当然あります。出張に行く度に刺激を受けるし、地元にもたくさん素敵な人気店がありますから。

それは、見習いたいという気持ちの一心で、潰そうとか妬もうとか思ったことが一切ないです。むしろ、何のために妬むの?って話ですよね。

上の記事に追加でもうひとつあるとすれば、《疎遠からの無縁の流れ》です。

たま〜に感じることがあります。

事業を進めていくにつれ、規模感の違い・展開の早さで、今まで通りの親密な付き合いができなくなったりします。

会いたいなぁ〜と思っていてもなかなか会えず、さらには「どうせアイツ忙しいでしょう」と飲み会に誘われなくなったり。

(だから地方にはいくつも名刺交換会や異業種交流会が乱発しているのか?あんまり好きじゃないけど)

この《疎遠からの無縁の流れ》から上記の【風説の流布で人格否定をして潰す】に繋がることもあると思います。

できれば無くしたい問題です。

とはいえ疎遠になりつつも、いつも声をかけてくれたり応援してくれる人もたくさんいます。

そして、賛同してくれる人から支援もたくさんあります。

その体温を感じる度に、「よし、まだまだここでやれる。」と思います。

つまるところ、地方創生や事業の成功って一人でするもんじゃくて、たくさんの人の体温が町を盛り上げるんでしょう。

なぜこんな話を今するかと言うと、こないだ目上の先輩から「ミッチー、ドライやなぁ。」と言われたことに反省をしていまして、自分に体温がないと本末転倒じゃねーか!と戒めの念で綴りました。

周りの温度が上がれば上がるほど、「熱視線」で見られるということ。

それに応えれる事業をすることが僕の責任。

万が一、自分の知らないところで妬みや噂があったとしてもなんのその、サーモグラフィーの赤い所だけを気にして、どんどんその赤の面積を増やしていきたい所存です。

社内も社外も、家族も他人も、人付き合いをしていればどんな人でも当てはまるこの話。


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