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9 パヴェルを追って―クシヴォクラート編

菅寿美(『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』訳者)

2015年8月に、クシヴォクラート地方(Křivoklátsko)を訪れた。今回は、オタたちが愛した地方をできるだけ歩いて体感しようという旅だ。

早朝の列車に乗り、ロストキ・ウ・クシヴォクラートゥ駅(Roztoky u Křivoklátu)で下車した。そこから駅の裏手の丘を越えて、ベロウンカ(Berounka)川にかかるロストキ橋に向かった。橋を渡ると、散策道のひとつ「聖ヤクプの旅路(Svatojakubská cesta)」をたどって、山道を登っていく。

1_聖ヤクプの旅路_出発-1

(聖ヤクプの旅路 出発)

車道を上り、畑のあぜ道を通り過ぎると、目の前が開け、眼下には蛇行するベロウンカ川とクシヴォクラート一帯が広がっていた。一息ついて、そこから山を下っていく。急な傾斜で谷底まで落ち込む崖にはりついた小道を、おそるおそる下る。柵やロープなんで望むべくもない。しかし、これでも正式な散策ルートなのだ。日本なら絶対に散策路としては認められないだろうが、自己責任の国、チェコではこれは序の口。滑りませんように、落ちませんように、死にませんように、と祈りつつ、何とか下りきると、そこはベロウンカ川のすぐわきを走る車道だった。

3_聖ヤクプの旅路_高台から-3

(聖ヤクプの旅路 高台から)

ベロウンカ川を上流へと遡っていく。すぐにネザブヂツェ(Nezabudice)の水車が見えた。意外に近代的なたたずまいだ。そこから聖ヤクプの旅路を外れて車道をたどった。すぐに右手にネザブヂツェ村の家並みが現れ、左手には草原が広がり、その先にベロウンカ川がとうとうと流れる。露に濡れた草原を朝日が照らし出す様子は幻想的だった。

2_聖ヤクプの旅路_あぜ道-2

(聖ヤクプの旅路 あぜ道)

4_ベロウンカ川に出てきたところ

(ベロウンカ川に出てきたところ)

1キロメートルも歩かないうちに、車道からベロウンカ川へと向かって草原を切り裂くように、一筋の道が現れた。ルフ・ポド・ブラーノヴェム(正式名称は、ルフ・ポド・ブラノヴェム、Luh pod Branovem)の渡し場につながる田舎道だ。

その道を進むと、木製の小さな桟橋に出た。そのわきには、錆びた鉄棒を組んだ櫓があった。「Bušte(打ち鳴らしてください)」と書かれた手書きの札がかかっている。

5_「打ち鳴らして」の櫓

(「打ち鳴らして」の櫓)

緊張しながら打ち鳴らしてみると、川向うの小ぢんまりとした家の陰から男の人が出てきて、小舟を漕いでやってきてくれた。彼は現在渡し守を務めている方だそうだ。パヴェル家の釣りの師匠であった“プロシェクおじさん”のお孫さんとも知り合いらしい。

6_ルフポドブラーノヴェムの渡し場

(ルフポドブラーノヴェムの渡し場)

その小舟でベロウンカ川を渡り、彼が出てきた小さな家にいくと、その一隅が、オタ・パヴェル記念館(Pamětní síň Oty Pavla)であった。この家はもともと渡し守りの住まいであり、すなわち、当時はプロシェク一家の住居だった。中に入ると、“おやじ”がセールスしていたエレクトロルクス社の掃除機や、パヴェル一家の写真、釣り道具、愛用のナップサック、それに“男たちの遠足”で買い出しした時のリスト(!)までもが展示されており、もしかしたら、ひょいとオタがその扉から顔をのぞかせるのではないかと思われるほど、彼を身近に感じられた。

ベロウンカ川を再び渡る。茶色の川面は穏やかで、河岸の木立がくっきりと映っている。

7_ベロウンカ河畔

(ベロウンカ河畔)

リンゴとプラムの木が不規則に生えた川沿いの車道を歩く。ベロウンカ川ではカヌーを数艇見かけた。

渡し場から1.5キロメートルほど上流に遡ったところで、木陰にレストラン「偵察兵(U Rozvědčíka)」が現れた。感じの良い偵察兵氏ことフラニェクさんとその美しい奥さんのフラニュコヴァー婦人が営んでいた、あの店だ。田舎風の頑丈な造りの建物に入ると、無愛想なおばさんがやって来た。壁には、パヴェル原作の「金のウナギ」のテレビドラマがこの付近で撮影されたときの写真が飾られていた。ここで昼食を取り、先を急ぐ。

8_「偵察兵」内の様子

(「偵察兵」内の様子)

散策路には、ときどき、見どころとなる光景や自然の案内板が立っている。悪魔岩(Čertova skála)についても、案内板があった。オタが子供のころには、この悪魔岩の付近に大きなパイクがたくさん棲んでいたのだ、そう考えると、釣り糸を垂らして探ってみたくなる。

車道からベロウンカ川のすぐそばの道に分け入り、スクリエ(Skryje)の入り口まで歩いた。スクリエの橋を渡って左手に曲がり、ベロウンカ川の反対岸に沿う小道を通ってティージョフ城址(Hrad Týřov)を目指した。ベロウンカ川からそれて山のほうに向かっていくと、ベロウンカ川に向かって流れ下る小さな支流があった。それらのどれかが、オウポシュ川(Oupoř)なのだろう。

低い山を登っていくと、木の幹にティージョフ城と書かれた看板が打ち付けられている。山頂付近の狭い平地に、淡褐色の煉瓦積みの城址が見えた。この山登りというほどでもない山登りで、再び「自己責任において」というチェコでは忘れてはならぬ心構えが頭をよぎった。城址のひとつがある、山頂の高台に至るまでの斜面が、とにかく不安定なのである。積もった落ち葉がぐずぐずと崩れるので足の踏ん張りはきかず、体を支えられる木や丈夫なつるもなし。バランス感覚に自信のない人は、止めておいた方が良いかもしれない。この時ばかりは「落ちるかも」と何度か肝を冷やした。山頂からさらに一段高くなった高台では、ハイキングに訪れた若者が、崩れ落ちそうな城址を背に、腰を下ろして休憩していた。

9_ティージョフ城跡

(ティージョフ城跡)

スクリエは三葉虫の村だ。化石が出るからということらしい。道路の敷石にも三葉虫がはめ込まれていた。スクリエの村の中心にあるバス停でラコヴニーク(Rakovník)行きのバスに乗り、この日の遠足は終了した。

10_スクリエの三葉虫

(スクリエの三葉虫)

全行程およそ16キロメートル。山あり谷ありの道を踏破したあとのラコヴニーク・ビールは格別だった。


オタ・パヴェル記念館のウェブサイト
http://otapavel.cz/


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