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6 「金の虎」でビールチーズ(食べ物)

菅寿美(『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』訳者)

「フゴは夕食用にパンとビールチーズと自家製ビールとをもらい、水車小屋の寝台の上で眠った」(「ドロウハー・ミーレ」より、p.51)

チェコ好きにはビール好きがかなりの数いる。Mさんはビールを飲むためだけに、毎年チェコにひと月滞在していたという筋金入りの飲ん兵衛で、プラハ中のあらゆる居酒屋を知っていると言っても過言ではなかろう。幸運なことに、そのMさんと一緒にプラハでビールを飲む機会を2度ばかり得た。その2度目のことだ。

プラハでの仕事が終わったその日、同僚K氏を誘ってMさんと合流し、有名な居酒屋、「金の虎(U Zlatého tygra)」に案内してもらった。なんでも、チェコの有名な作家たち(ボフミル・フラバルなど)が通っていただの、各国の要人も来店しただの、常連席が決まっていてそこには座ってはならぬ、など、一人ならば足を踏み入れることさえ躊躇われるような逸話が数多くある店だ。

座るや否や、問答無用でプラズドロイ(Prazdroj いわゆる、ピスルナー・ウルケル)がテーブルに置かれたような気がする。何はさておき、ここはプラズドロイを楽しむための店なのだ。まず乾杯し、おもむろにメニューを見ると、ビールチーズ(pivní sýr)があるではないか。パヴェルの本でその名は知っていた。しかし、まだ実物を見たことも味わったこともない。これは試さぬわけにはいかない。さっそく注文した。何片かのチーズにスパイスの粉末とネギやニンニクのような薬味が添えられて出てきた。Mさんがチーズに全てをぶちまけ、おもむろにビールの泡をすくってそれも加えた。そしてかき混ぜる。ぐるぐるぐる、いや、ぐちゃぐちゃぐちゃ。これがビールチーズをいただく(チェコでの)正しいお作法であり、この粗いペースト状のものをパンの薄切りにのせて食べるのだそうな。

『金の虎』にて。中央上がビールチーズ

(「金の虎」にて。中央上がビールチーズ)

ビールチーズ練り合わせ中

(ビールチーズ練り合わせ中)

ところで、「ビールチーズ」をネット検索すると、二種類の“ビールチーズ”が現れてくる。ひとつめは市販されているビールチーズ、もうひとつは“自家製ビールチーズ”(domácí pivní sýr)である。

商品として流通しているビールチーズは、皮脂様の物質を生産するバクテリアをチーズ表面に付着させ、塩水で洗いながら熟成させた、ソフトおよびセミハード系のこってりとしたチーズである。非常に強烈なにおいを放つ。1874年にヨゼフとアントンのクラメル兄弟により、ドイツのヴェルタハで初めて作られた。塩分高めで、ピリリとした刺激があり、ビールによく合うことからビールチーズという名がついたとのことである。チェコで製造販売が始まったのは1953年であり、北部のホルニー・ブラナーで、ズデニェク・ハヴリーチェクによって「クルコノシェ・ビールチーズ」という銘柄が生みだされた。

いっぽう、自家製ビールチーズは、その名のとおり、各家庭で作って食べるものである。トヴァロフ(tvaroh)という、カッテージチーズに似た未成熟のチーズに相当量のビールと食塩、それにクミンやパプリカなどのスパイスを加え、混ぜ合わせたのち、室温で一週間程度熟成させたら出来上がりらしい。このペースト状のチーズをスライスしたパンに盛れば、ビールのつまみにもなるし、手軽な食事にもなる。

オタの6歳年上の兄、フゴが水車小屋で若い衆として働いていたのは強制収容所に行く前まで、つまり1940年代前半であるから、チェコ国内ではウォッシュ系のビールチーズ製品はまだ流通していなかった。農夫からもらっていた“ビールチーズ”とは、おそらく彼らの手による“自家製ビールチーズ”のほうであったろう。

チェコの食べ物にはドロドロ系がよく見られる。茹でたジャガイモはつぶして、いわゆるマッシュポテトより一段柔らかめのかゆ状にするし、ホウレンソウだって、ごく柔らかく湯がいてから緑のペーストにしてしまう。野菜も肉もこれでもかとばかりに熱を加えるのは、日本より北に位置し、新鮮な食料調達に苦労していた国の伝統なのかもしれない。

チェコ料理-1

(学生食堂にて)

チェコではしばしばオマーチカ(omáčka)と呼ばれる、調理中に生じた肉汁などをもとに丁寧に作られたソースを、これでもかというほど料理にかける。それを一滴も皿に残さないよう、パンやジャガイモやクネドリーキでしっかりとぬぐい取って食べる。皿に残った汁をパンでふき取るのは、チェコでは不作法には当たらないのだ。料理によってはオマーチカが主菜かと思われるものもある。このオマーチカがしみたクネドリーキやパン、ジャガイモは滋味深く、ドロドロこそがチェコ料理の神髄だとも思える。

チェコ料理-2

(レストラン「ペガス」にて)

さて、ビールチーズのお味であるが、チーズの癖のある香りとニンニクの香りとで、私には少しばかりきつかった。ただ、同僚K氏は、チェコに滞在した一週間ほどの間に食べた食事の中で、ビールチーズを含むこの居酒屋の料理が一番おいしいと絶賛、ビールチーズも滞ることなく、彼の胃袋に消えていったのだった。どうやら、好きな人には堪えられないようだ。

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