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20. チェコ人と海(文化)

菅寿美(『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』訳者)

ポーランドで、ようやく、海で釣りたいというぼくの願いに明かりが灯った。(「潜水艦での魚釣り」より、p.109)
ぼくは再び海のそばにいた。今度はヨーロッパの下の方だ。たいていの海のように青色であるにもかかわらず、なぜだか、“黒い”と呼ばれている海のほとりに。(「ハガツオ」より、p.120)

チェコには海がない。だから海に対して強い思い入れがある。夏の休暇には、クロアチアやイタリアなどの海辺に出かけるのが人気だ。そんなチェコ人のひとりであったオタも、海での魚釣りにあこがれていた。またヴィエラと結婚したのち、ヴィエラと子供たちを連れて、家族でブルガリアの黒海沿岸を訪れていた。まだ若い夫婦が海辺でのんびりし、海水浴を楽しむ様子がほほえましい。ここでは引用しないが、オタの母、ヘルミーナも、イタリアの暖かな海で泳いでみたいという強いあこがれを持ち続けていた。とはいえ、社会主義体制の当時、西側のイタリアへ旅行するのは庶民とって簡単なことではなかった。それに比べ、ブルガリアやクロアチア(当時はユーゴスラヴィア)へ行くのは、まだ実現可能な贅沢であったそうだ。黒海やアドリア海はチェコスロヴァキアの人々を大いに瞠目させ、癒してくれていたのだろう。

晩夏のアドリア海

(晩夏のアドリア海)

ブルガリアの“黒い海”を「海」と定義して良いかどうかはこの際おいておこう。

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