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青い鳥の、落とし穴

書けるだろうか、青い鳥の おはなし。
私は、仏教に興味がある。
なんだか苦しい時期に、たまたまいろんな角度から
仏教のはしっこに触れるようなことが重なって。
だからといって、私が今、
なにか仏教について語れと言われても
実は何も 語れないんだけど。
でも、よくぞ出逢えたと、
出逢えて良かったと、心から思う。

これは、仏教に出会って間もなく、
自分の掘った落とし穴に はまった時の日記から。

幸せの青い鳥を探しに、兄と妹は旅に出る。
いろんな困難を乗り越えながら、幸せを探す。
どこにもいない、どんなに探しても。
とうとう見つけられず、家へ戻ると…
そこには、青い鳥がいる。
『青い鳥は、ずっと近くに いてくれたんだ』
物語は、ここで終わる。
『幸せは、いつもここにある』
この物語の終わりと、仏教との出会いが
私の中では、同じところにある。

素敵な おはなし。そこに何の疑問もなかった。
はずだった…。けど…。

…正直に、そのまま書くと、
「で?」
「だからなに?」
私は、ひねくれ者だ。
『幸せは、ここにあったんだね』それでいいのに。

で、その先、どうやって生きるの?
幸せは、ここにあると知って、そこから始まる旅は…
青い鳥を探す という目的をもった冒険の旅より
味気ないものになるんじゃない?
なんだか虚しい。ハリがない。
こんなことなら、知らない方が良かったんじゃないか。

青い鳥が ここにいるなら、
もう冒険の旅には出られない?
出る必要がない?それじゃ、あまりに つまらない。
見事な、落とし穴。ズッポリ、はまった。

ぐるぐる悩んで、考えて、
もう面倒臭くなってきた。そして ふと…。
物語…くっつけてしまおうと思った。

実は、青い鳥は、カゴの中に いるんじゃない。
ずっとそばにいるけど、捕まえておけるものじゃない。
自分の心が乱れると、色が変わってしまう。
見えなくなってしまう。

だから 「青い鳥」 が 「青い鳥」 のままでいられるように
「幸せの青い鳥」を
「幸せの青い鳥」として見られるように
この先の、冒険の旅に出る。
いつもそばにいてくれる、安心感を知りながら。

しあわせと知りながら、しあわせを探す旅は続く…。

こんな おはなし だったら良いなぁ。
それなら、そういうことにしてしまえば…
いいんじゃない?

この冒険の旅、つまらないどころか…
よりスリリングで、よりリアル。
安心感がバックにつくと、
言い訳が、通らなくなる。
だから、逃げられない。だから、おもしろい。









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