見出し画像

自立への依存


ふぅー。。誰が悪い訳でもない。
それは分かっちゃいるが、
とめられないイライラが滞在中。

他責、自責に逃げずに、
この不快感に浸りつくす。いやー辛い。
負のスパイラルに逃げてしまいそう。

これを変な制限にしたくない。しない。

人を好きでいるのは、ムズい。
人付き合いは、やっぱりムリ。

そうやって決めつけて逃げたい気持ちを
あるなぁ~…とちゃんと痛がっていよう。

こんなとき、愚痴きいてくれる人いたら…
なんて思うけど、一緒になって文句言って、
私を肯定してもらったところで
すっきりしないのはわかってる。
根本のところまで、沈んでいくように
深い底で呼吸を合わせてみる。

そもそもたいした文句でもない
別に全然誰も悪くない。
でも、あんな一言にあんなにも強烈に
反応して不快感が爆発したのは
あの、自分の行動を人のせいにするような
「こうすりゃいいんでしょ!?」的な態度を
私が心から嫌ってるから。
そこに、私の癖があるから。

つまり、人のせいだけにして依存してた自分を
今でも全力で否定してる。

私のモヤモヤをたどると、大体いつも
「依存」というワードが浮かんでくる。

人に依存しようとする自分が許せない。
だからすぐに距離をとって一人を選ぶ。
人を信じず、近づきすぎないことで
傷つかないように予防線を張る。

自立にこだわりすぎる。
自立シンドローム。
それってもはや、全力で依存的。

自立と依存のバランスは、
とろうとろうと力むほど、不安定になる。

むしろ一度、依存に思いきり振ってみるのはどうだろう?
この中途半端な自立心は
どっちつかずの場所にいようとする、逃げなんじゃないだろうか?
まだ、私が何かをしなくちゃと思ってる。
まだ、私に何か出来ることがあると思ってる。
そんなふりをして、逃げてきたのかもな。

月が自分自身で光ることのないように、
私には出来ないこと、しなくて良いことに
いつまでもしがみついてちゃいけないな。

太陽の光を受けて輝く月のように
私を余すことなくひらいておく。

依存ではなく、自立でもなく、
この世界の全受容の在り方にひらく。
この在り方にひらいたとき、
そこに立ち現れてくるのが、
依存と自立のバランス、均整のとれた中庸
ということなのかもしれないな。

不快感が去っていった。
まだ少しだけ余韻を残している。

この夜を愉しもう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?