気がする、だけ。
この感覚を、
書き留めて忘れずにいたいと思うのも
“違う” と言われる事なのかもしれないけど、
まぁ、そんなことも どうでも良いか。
聞こえる、見える、嗅ぐ、味わう、肌で感じる。
この感覚が、輪郭を作り出してるな と思った。
この感覚が、違いを 変化を 見せてる。
季節の移ろいを感じるのも
好き 嫌いの区別が うまれることも。
自分って、無くて。体も、多分どこにも無くて。
これも 感覚が、ただそう見せているだけの…幻想…
って…そういうことか…
「感覚だけがある」 って、こういうことか。
そう感じながら、瞑想会のシェアリングに入って…
参加している方が、話し始めた。
…あ、これも同じ。
窓の外から聞こえる 風の音や、鳥の声。
部屋から聞こえる 冷蔵庫のブーンという音。
窓に切り取られた景色や、さっき たたんだ洗濯物。
晴れていたけど、もうじき雨になりそうな空気感。
人間の言葉や表情だって、同じなんだ。
その人が 「そこにいる」 ような気がするだけ。
言葉が 「そこにある」 ように感じるだけ。
そこに意味を見いだすことすら、私はしてない。
この文字も、私が書いているわけじゃない。本当は。
それでも、
「出来事を受けて、感情が浮かんでくる」 気がする。
「私が、そう感じた」 という気がする。
関連性もなく、意味もなく、
ただ、見えて 聞こえて 感じているだけの瞬間を
そこに、そうである理由、意味、つながりを
見つけながら生きてる。
でもそれすら、自分で やっているわけではなくて…。
って…。どこまでやったって 辿りきれないんだけど。
「自分でやってない」っていうのは
ある意味 “無責任” な態度に見えるけど
そこが “あたりまえ” に思えると
変な かたさや、力みが解けて、楽になっていく。
つながりも、意味もなくて良いから
今、そのまんま動いていいよ って、すごい。
そうやって ほどよく ゆるんでいると
やっぱり そのままで、完璧に整っていくの~♪
アンビリーバボー(^o^)
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