見出し画像

ちょいちょい書くかもしれない日記(家庭内行事)

父の遺産相続の書類が、ようやく整いつつある。
昨年の8月からずっと続いた、長い道のりだった。
正直、わーい財産だよぉ~、嬉しいよぉ~というような額のものは案の定ほとんどなく、稼いだだけ使っていきましたね、という感じだ。
自分の処理能力に不安しかなかったため、公認会計士さんや司法書士さんに助けていただいただけに、そっちの経費も目をむくほど高くついた。
専門職の仕事は高いものだ。それが当たり前。とはいえ、懐の痛みも本物である。
でも、おかげで円満にスムーズに片付く感じだ。
「父が遺したものはすべて、それを共に稼いだ母に」、が私と弟の合言葉なので、遺産分割では微塵も揉めなかった。
それが実に幸運なことだというのを、友人知人の経験談をいくつか聞いて、つくづく思い知る。
親のお金の事で、子供たちが揉めるのはとてもしんどいだろうと思う。
兄弟間で揉めて調停が入った、などと聞くと、背筋がヒヤッとする。
とはいえ、たとえ我が家の平和な環境でも、父の人生の総決算である相続の準備は、なかなか難儀だった。
人間、生きていれば若干ややこしいことのひとつやふたつやみっつ(以下略)は発生するものだし、特に父は仕事を引退する前に死んでしまったので、私にはわからないことが山積みで、呆然とした。
力を貸してくださる方々の存在がなかったら、ワーッ! と叫んで大の字に倒れたままだったかもしれない。
ありがたい。本当に救われた。
まだ予想される山と谷はいくつかあれど、父のほうが一段落つきそうなので、母のほうも、少しずつ色んなことを整理していこうと思う。
勿論、母は生きているので、私が好きなようにあれこれいじくり回すわけにはいかない。
母の権利を侵害することは、実の娘でも許されない。
とはいえ、この先どのくらい生きるかわからない母のために、できるだけ色々なことが円滑に動くように、なるべくシンプルな形に整えておいてあげたい。
私が手続きや管理を肩代わりできることは、母の了承を得つつ、ひとつずつ手続きを進めていこうと思う。
だいぶそうした作業に慣れてはきた。
でも、自分が死ぬときは、こういう後片付けを担ってくれる人が誰もいないのだ……という事実に暗澹たる気分になる。
見知らぬ人たちにお世話をかけることが確定しているのだから、やはり私自身の身辺も、できるだけ風通しよくしていかねば。
ミニマリストにはなりようがない山暮らしだが、今はひたすら、実家から持ち帰った大量の物資をこつこつ消費している。
それが落ち着いたら、まずは備蓄をバランスよく整えたいところ。
そして書庫を……書庫をどうにか……いや無理なんだよなあ、それが。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。