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ちょいちょい書くかもしれない日記(ままならぬ)

自分の仕事のことなのに、自分が知り得ないところで複数の人たちが関係をこじらせ、修復の可能性が消えたあとでそれを知らされた。
今さらながら、芥川龍之介の「藪の中」は、地獄みたいにリアルな小説だなあと実感する。
同じ案件なのに、当事者ごとに違う言い分がある。
人の思いも行動も、いともたやすくすれ違う。
それぞれの話には、真実もあれば、都合のいい解釈もあれば、微妙な嘘もあるかもしれない。気づけない勘違いだってあるだろう。
当たり前だ。にんげんはそういう生き物だもの。
問題は、そうした話のすべてが「お気の毒です」「すみませんでした」で締めくくられ、それをもってお前は結果だけを諦めと共に粛々と受け取れ、と暗に要求されることだ。
それが社会のルールなのだから、と。
引きずってもしょうがないでしょ、大人でしょ、と。
話の集約地点とされ、そのくせ何もできない、今回においては100パーセント被害者である私が、何故、全員の言葉と悲しみと怒りと遺憾の意、その他のネガティブな感情を引き受け、しかも私自身の心と仕事を毀損されたことにただ耐えねばならんのだ? とさすがに思う。
心のぐるぐるを反映して、思わず文が長くなった。
全然関係ない他の仕事先の人が、あまりに気の毒だからと納期を少し先送りにしてくれた。
ありがたい。とてもありがたい。
家にいると考え込んでしまうので、新幹線に飛び乗った。
アホみたいに混んでいる。
こんなに人がいるのだから、ひとり消えたくらい何でもないなあ、としみじみ思う。
その「何でもない」のベクトルを、前に向けるための日帰り旅だ。
自分の命は自分で救うが、それはそれとして、許したくない人を許す必要はないなあ、とも思う。
許しはマストでも終着点でもない。
怒ったまま、恨んだままで生きていくほうが自然なことも、たぶん、たまにはあるのだ。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。