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ちょいちょい書くかもしれない日記(酉に翼)

事情があってここ数日、母と過ごす時間が多い。
母は毎朝、忘れたときは昼に、「虎に翼」を見ているそうだ。
「ストーリーは難しすぎてよくわからない」そうだが。そうだろうな。
「あなたは酉年だったわね。でも、トラちゃんをを見ているとね、いつもあなたを思い出すの」
それはねー、なんか知らんけどひゃっぺん言われてるわ、色んな人に。
別に私、地獄を切り拓いた憶えなんかないんやけどね。
何かがあるんやろね。
でも、トラちゃんは私と違って、資格を取って結婚して子供も持ちはるんやろし。全部持ってて偉いなあ、私とは違うわと何の気なしに言ったら、母が。
「全部は持てません。腕は二本しかないの」
やけにキッパリと言った。
「子供を持ったことは後悔していないけど、結婚したことには後悔があるし、そのせいで手放したものにも、後悔はずっとあるわよ」
おおう。父が死んだ今、それを言いますか。
今、それを聞かされている私は、どういうリアクションをすればいいのだ。
「あなたは、たくさんの人に作品を愛してもらうかわりに、自分自身は寂しい人生を選んだんだから、それをまっとうしなさい。全部持とうなんて厚かましい」
おおおおう。
なんでそういうときだけ苛烈モードに戻るんですか、あなた。普段はふわふわなのに。
ノートPCを持ってきてはいるけれど、こうめった刺しにされては、仕事どころではないな。
何よりこれは、認知症が言わせる暴言ではない。
むしろ、理性が閉じこめていた本心だろう。
認知症が扉を開け放ったせいで、堂々と表に出てくるようになった、母の本音だ。
「お母さんは、女は結婚して子供を産んでやっと一人前に扱われるって言ったけど、お父さんは、『人生をかけてやりたいことがあるなら、結婚などしてはいけない』って言ったのよ。でも私にはそこまでの夢がなかったから、結婚した。だけど、人生をかけるほどじゃなくても、やりたいことはたくさんあった。本当は、諦めたくなかった。諦めたせいで、自分がなくなってしまった」
聞いているうちに、相づちも打てなくなって、ただもう涙がだばだば出た。
マジで、今そんなこと言われたって。
もう、遅すぎるじゃないですか。
あなたが手放したもの、ひとつだけでも取り戻してあげたいのに、何もしてあげられないじゃないですか。
たくさんあった「やりたいこと」も、訊ねたところで、ただのひとつも思い出せなくなってしまっているじゃないですか。
ただ、心の中に、膨大な喪失感が残っているだけで。
そんな底が見えない大穴、お釈迦様でも埋めらんねえよ。

母は、家族の世話を過剰に焼くことで、「私がいないとこの家は回らない」と胸を張ることで、自分のアイデンティティを守ってきたのだと、今はわかる。
その最大のターゲットだった父が死に、自分が最強になれる城であった家からも切り離され、母は、何も持たない人になってしまった。
空っぽの母の器に、何を注いであげたらいいんだろうな。
私が本を出すことを、いや、私が、かつての母のような文学少女をずっとやっていることを、母が喜んでいるのは知っている。
でももう、母は本を読めない。
どうしてあげたら、母のこれからの日々はもっと豊かになるのだろう。
母が実家にいた頃には、日々をやり過ごすことで精いっぱいだった。
今は、母が施設に入り、私の心に先のことを考える余裕ができた、とも言える。
でも……「先」はいつまで続くのか。母の心がどう移ろっていくのか。
わからないことだらけで、私は結局、オロオロしている。
高齢者はそれぞれのヒストリーが千差万別すぎて、他人様の経験談があまり参考にならないのも困りもの。まったくの無駄ではないけれど。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。