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ちょいちょい書くかもしれない日記(絵が増える)

昨年の8月に父が死んでから、家の中に何枚か絵が増えた。
親を見送ったことで、私の人生もとっくに折り返し地点を過ぎていたのだなあ、としみじみ感じたからだ。
ほしいと強く願うものについて、入手を迷ったり躊躇ったりする贅沢な時間は、もう残されていない。
身の丈に合った、あるいは短期間でリカバリー可能なはみ出し程度で手に入る価格帯のアートなら、思いきって買ってしまえ。
そして生きている限り、目いっぱい手元で愛そう。
そういう気分になった。

うちにはそこそこたくさんの絵と、いくつかの造形物がある。
ひとつたりとも、しまい込んではいない。すべて、家の中のあちこちに飾ってある。
家の内部の、余白という余白を自分の好きなものたちで埋めたい。
うっかり人生の一時期をイギリスで過ごしたせいで、そういう謎の欲求が私にはある。
そして17年かけて、それを着実に実行しつつある。

ピクチャーレールはよきもの。

作家もバラバラ、時代もバラバラ、テイストもバラバラ。
でも、すべて私が大好きなもの、私が毎日見ていたいもの、という共通項がある。
すると不思議に、何となくまとまってくるのだ。
私がそう思っているだけかもしれないけれど。
どっちを向いても情報量が多すぎると言われるうるさい家は、私には、とてもあたたかく、愛おしい。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。