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ちょいちょい書くかもしれない日記(墓参ファイナル)

4万回もスキしていただけたのだそうです。
数字がすべてではないし目標でもないけれど、やはりこうして教えられると、優しく背中に手を添えて貰っている、という意識を新たにします。
ありがとうございます。(前文終わり)

父の墓参アテンドの最後の予定をこなして、少しホッとした。
両親が倒れてからというもの、ずっと初めて経験すること、慣れないこと、不得意なことの連続だったので、これもその一環だなと思う。
この一週間、色々な方のお供をして痛感したのは、「同じ年齢の高齢者でも、老い方は千差万別」という当たり前の事実だった。
でも共通点は確実にあって、そのひとつが「軌道修正が難しい」である。
頑固とはまた違う(勿論、とてつもなく頑固な人もいる)要素で、予定していた行動のパーツがひとつでもずれたり外れたり交換されたりすると、たちまちすべてがガタガタに崩れてしまう。
そしてその瓦解の予感に、彼らはとてもナーヴァスだ。
母が実家にいた最後のほう、ルーティンを守ることに血道を上げていたので、これについては何となく理解できる。
なるべく、彼らの想定に添って、スムーズに墓参を済ませていただこう、思いきって来てよかったと感じてもらえるようにしようと奮闘したが、上手くいったかどうかはわからない。
ただ、父の墓から見える景色には、皆さん感嘆しておられた。
神戸の町と港、そしてキラキラ光る海を水平線まで見晴らすことができるお墓はなかなかないと思う。
父も生前、それがとても自慢だった。
「おお、あれはさんふらわあだね」
白い船体に、赤い太陽が描かれたフェリーを見つけると、みんな喜んでしまうのが面白い。私も勿論そうだ。
墓参のお供には必ず、パラソルと、使い捨てのお手拭きと、冷たい飲み物とアイスキャンデーを用意していた。
パラソルは、納骨のときに石材屋さんが用意してくださっていて、とても助かった経験があるので、楽天のスーパーセールでゲットした。
10代の終わりに海水浴に行かなくなって以来、パラソルなんて触れる機会すらなかったので、広げるときはちょっと新鮮な気分になる。
アイスキャンデーは、やはりあずきバーが一番人気だった。
食べながら拝聴する父の思い出話は、おおむねろくでもなかった。
何故、べろべろになるまで飲んでしまうのか。
生前、幾度となく浮かんだその疑問に、死後もやはり首を捻るのは、私が下戸だからだろうか。

何故、天井までガチャを回してしまうのか。
あっ、そういう……。
DNAを若干感じた。嬉しくはない。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。