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『大奥』SFによる可能性

物語の世界では、簡単に世界が変えられる。
現実にはない世界を創造することで、人々が現実を改めて見る視点を示唆する。

『大奥』は、男女が逆転した世界。
そこから何を読み解くか?

上野千鶴子さんは、

東浩紀さんが『AERA』3月15日号に書いたエッセイでは「この物語に込められたメッセージは実に複雑である」とした上で、「単に男女を入れ替えれば差別が消え去るわけではない、というあたりまえの感覚を忘れないことである」と言う。男女入れ替えのSFには、女性優位や女尊男卑を揶揄するものもあるが、わたしの知る限り、フェミニストで「男女の項を入れ替える」ことを要求するひとはひとりもいない。今さら東さんに言われるまでもない。男女入れ替えの設定がわたしたちに見える化するのは、権力のジェンダー非対称性のグロテスクさである。項を入れ替えようが入れ替えまいが、この不正義で不公正なジェンダー秩序そのものを解消すべきなのだ。

と語っている。上野さんの記事はこちらで。

こういう逆転の発想は、ジェンダー問題の指摘の際によく使われている。
例えば、2016年に韓国で起こった江南駅通り魔事件以降、メガリアという団体が、ミソジニーのフレームをそのまま男性にも適用して逆方向で見せる「ミラーリング (mirroring)」によって、社会運動の戦略として注目をあびると同時に大きな論議を呼び起こした。
「キムチ女」と言われれば「キムチ男」とやり返す。また「ママ虫」と言われれば「パパ虫」とやり返した。この戦略は、男性に嫌悪表現の暴力性を気付かせるのにひと役買った。

『男社会がしんどい』では、2019年8月末に大手コンビニが成人雑誌販売を中止した件で、もし、今販売してる男性向け成人誌と同様の描写で表紙を男性の裸体の雑誌だったら…という漫画を描いている。これをみて、なるほど、確かに!これをみた男性は嫌だと思うだろう。

そう、だから、世の中で普通に起こっていても、見方を変えると変にかんじることって、現実にもおかしい理不尽なのだ。
だから、SFの可能性って、多分にあるのではないかと感じる。

私たちは、知らず知らずのうちに、自分のみたいように、または社会から望まれた見方で、世の中を見ている
こうでなければならない、こういうものだ、今までこうやってきた、これが常識…。
しかし、それらは、一つの見方にしか過ぎない。
場所が違えば、国が違えば、文化が違えば、違う見方が存在する。

『大奥』という逆転した世界から、私たちは何を見るのか。

#ジェンダー #SF  #上野千鶴子 #大奥 #ミラーリング #韓国ジェンダー問題

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