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それは君が暇だからとあなたは言うけれど。(週報_2019_11_24)

寒さがだいぶ、深刻になってきた。
休日の午後、物置からカバーのかかった灯油ストーブと赤いポリタンクを出し、移動販売車を待った。

ペチカを鳴らしてくるから、ペチカのおじさん
おじさんの来る時間ちょうどに在宅できないことも多いから、言葉を交わすのは冬のあいだ、ほんの数回だけ。
今日回数券を買ったらあと何回会えるだろうか。

ゆ き の ふ る よ は た の し い ペ チ カ

どこか物悲しいメロディーとともに、おじさんの乗る販売車が近づいてくる。
私は交差点の真ん中で両手を大きく振り、ぴょんぴょんと跳ねた。
今年も冬がきたね、そんな思いで助手席側の窓越しに運転手さんを見上げると、そこには知らないおじさんが座っていた。

おじさんは右手でちょっと待って、の手振りをすると、緩やかなスピードで交差点を抜けた先で車を寄せて停車した。

「あ、の、回数券、を」

人違いの恥ずかしさを悟られないにはどんなトーンが良いものか、迷いながらなんとか用件を済ませる。
前掛けのポケットからじゃらじゃらと選った小銭を受け取ると、やはり私は「いつものおじさんはぁ……」と聞かずにはいられなかった。

「ちょっとわかんないんですよ」

いつものおじさんより一回り以上は若いであろう、でもしいていうならやっぱりその人もおじさん、のおじさんはあっさりと言った。
はあ、と私は気の抜けた返事をすると、またゆるりと車は動き始める。
ペチカのおじさんは、どこだったか東北の人で、冬の間だけ出稼ぎに来ていた。
身体を壊すとか、まだそこまでの年齢には見えなかったけど。

ペ チ カ も え ろ よ * * * * * * *

遠くなっていく車、メロディーしか知らない歌。
だから先週言ったじゃないか、会えなくなる人がいるんだと。



*****



遅い時間の勤務を終えると、私は迷わず新宿に向かっていた。
トリキのあの子に会っておかないと後悔すると強く感じていたからだ。

いつもの店。
宅飲みみたいに身内だけで盛り上がると、閉店の2時に夜の街に放たれる。
「みんなの元彼」という名誉なのか不名誉なのかよくわからない二つ名を持つ男とは、靖国通りの手前で別れた。

知っている、私にかかわらず女の子が寂しそうな顔をすると、朝まで付き合わずにはいられないこと(だからみんなの元彼なのだ)
だから今夜は私から先に「これからトリキの子に会いにいくの」と伝えられてよかった。
優しい男が安心しておやすみと帰っていける状況を作れたぞ、誇らしげに私は雨の新宿を歩いた。

エレベーターのドアが開くと、正面で懸命に床掃除をしている彼女と目が合った。
笑ってる猫のネタ画像みたいに口の両端をめいっぱい引き伸ばす。
彼女はまたカタコトで「オゲンキデスカ?」と言った。

いざ話しかけるとなるとタイミングが難しくて、席に案内され、ドリンクを注文し、そのドリンクが届いてからも私はうまく彼女に声をかけることができなかった。

悲しいなあ、私、なにも言葉を持っていない。

先月から通い始めたライタースクールの先生に勧められた本に目を通しながら、くたりと頭を垂れた。
先週の講義「インタビューと取材交渉のコツ」を思い返し、じゃあ私は彼女に何を聞きたいのかと自問する。

隣のテーブルに座席の人数分、おしぼりと小皿をセットした彼女にようやく私は言った。

「就職……決まったの?」

はにかみながら彼女は「ハイ 内定モライマシタ」と言う。
本当ならおめでとうと言うべきなのに、私は自分の気持ちばかり先走って「バイト辞めちゃう?」と泣きそうな声を出してしまった。

「ハイ」


ここ2週で突きつけられたいくつかの別れを思い出し、うっと面食らった私に彼女は続けた。

「3月クライニハ……」

……良かった!!!
勝手に4~5日レベルの差し迫った話と思い込んでいた私は、よくわからない神っぽいものに祈りつつ、彼女の働きぶりをにやにや見守った。

私、一生懸命勉強するから、待ってくれないかな。
今はまだあなたに伝える言葉を、なにも持っていないから。



*****



冷たい雨を避けるためタクシー乗り場に向かうと、終電間近のこんな時間に、あのホームレス女性がいた。

遅い時間に彼女を見かけたのは初めてで、そして久しぶりに彼女を見たものだから、少し動揺してしまう。
相変わらずの大荷物は更に2つ増え、ついにショッピングカートに載せきれなくなっていた。
彼女を横目で見ながら、金曜の夜の長く伸びたタクシー待ちの列に並ぶ。

グレーのカーディガンは肩のあたりから色が変わるくらいにぐっしょりと濡れていてどんなに寒いだろう。
ショッピングカートを10歩ほど押すと、そろそろと戻り、45Lのゴミ袋2つを持ってまた10歩ほど進む。
それを何度か繰り返すうちに彼女は私の視界から消えた。

……交番に行って彼女のこと何か伝えようか。
だとしたら何を。
それより役所の方がいいのではないか。
でも今日は金曜だ、土曜、日曜……。
そんなことより今、温かい飲み物を、カイロをひとつ、持っていく方がずっと助かるのではないか。

ぐるぐると思考を巡らせているうちに、私は鼻を真っ赤にして涙をこぼしていた。
私に帰る家があることはほんの偶然、運が良かっただけ。
みんなどうして、見てみぬふりができるの。
そんなことを思っているのに、一歩彼女に近寄れないのだ。
残り1/4に迫った長蛇のタクシー列を今さら抜ける気概がないのだ、最低だ。

結局、鼻をすすりながらタクシーに乗り込むと、小さな声で運転手さんに聞いた。

「あの、普段ここの駅に、いますか?
変なことを聞いてごめんなさい。
いつもロータリーにいる、ホームレスの女のひとを、知っていますか?」

40代後半くらい、細面の個人タクシー運転手は信号待ちでちらりと私の顔を振り返って見ると、首をかしげた。
ずっと乗車しているのなら、知るわけもないか。

「……ショッピングカートに、荷物をたくさん載せている女のひとなんですけど」

もはや独り言に近い私の言葉に、運転手さんは突然声を上げた。

「ああ!! その人ホームレスじゃないですよ!!」

その声の音量に気圧されたものだから、話の内容が入ってくるまでには相当の時差があった。
運転手さんいわく、彼女はタクシーであの荷物を載せて駅までやってくるのだと言う。
彼は個人タクシーだから呼ばれたことはないけれど、お気に入りのタクシー会社があって、そこの会社のひとたちは彼女を何度も乗せているらしい。

「意外と私らよりお金持ってたりしますから」

運転手さんはおどけた口調で言い、私は「家は、あるんですね」とルームミラー越しに念を押した。

この晩、安堵した私はいつもより早く寝付けたように思う。
寝入り端、少し前にあしながおじさんから言われた言葉を思い出す。
彼の返信の遅さに私がしびれを切らしたときのことだ。

「君ね、それは、暇なんじゃないか」

自分の怠慢を棚に上げるその言い草に憤慨する素振りはしたけれど、本当はこれ以上ないくらいに図星だった。
私はもう自分の人生でやるべきことなんていくつも見つからないのだ。
他人から悩みを相談されることはあるが、相談をすることはない。
悩むことはやめた、じっくり時間をかけて諦めることにしたから。

人生死ぬまでの暇つぶし、なんて言うけれど、こうして様々な人たちに関わっていることが私にとっての暇つぶし、なんだろう。
そして新しい靴を濡らしたくないと、昨晩乗ったタクシーの運転手さんから思いがけないことを聞く。

「あの袋ね、お金ですよ、お札。だから僕たちに荷物は絶対触らせないんです。
座席に載せるときも、風呂敷を敷いてね、大事そうに。
ホームレス?とんでもない、すごく大きなお屋敷に住んでますよ。
ただね、ちょっと神懸かってるというのかな。
駅に行くまでに同じ道を何周か廻るように指示されたりね、するんですよ」

どうやら先週一週間の私の暇つぶしは、思いがけず都市伝説じみたエピソードに繋がっていたようだ。
そうだったのかと頷く私。
運転手は彼女の自宅を知らせたそうに眼鏡の奥の瞳を輝かせていたが、私はにっこりとそれを阻止した。
そんなことをしたって、私がこそこそ嗅ぎ回っている事実は変わらないのだけれど。



*****



あしながおじさんの指摘の通り、制御できない膨大な暇は、できることならないほうがいいんだろう。
本来だったら風景のひとつとして通り過ぎてゆく彼らのことで、泣いたり笑ったり。
そして今夜も暇をこじらせて、あしながおじさんの声が聞きたいな、なんて涙をこぼしてみたりしている。
それもこれも皆、暇のせいなんだ。
だからじっくり時間をかけて、諦めるしかないのに。

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