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泥だらけで引っ掻き合いたい夜(週報_2018_10_13)

私は出会い系サイトからnoteに引っ越してきた下衆な民だ。
表向きはSNSを装っているけれど、その実態は男女のアレとソレが、つまりその、そういうことになっているところ。

そこで知り合ったある男性。
口八丁手八丁で私を口説き落とそうとしてくる。社会的地位のある立派な男性がこんな野良猫のような私をそばに置く女性に選ぶとは到底思えない。
あんな便所みたいな出会い系で知り合った女なんて相手にできないでしょ、と言うと彼は
「あそこは出会い系じゃないよ、SNSだよ」
と微笑みながら、どこの誰がアイロンをかけたかもわからないワイシャツのボタンを留めた。去年の年末のこと。

おう、じゃあお前の言う通りSNSとして使ってやろうじゃねえか。

野良猫らしい品のない言葉で自ら私の中のスイッチを入れた。何の下準備もなかったけれど、手始めに趣味の読書を題材に感想文を投稿することにした。

とは言うものの、私は今までの人生でまともな文章を書いたことがないどころか、義務教育以上のろくな教育すら受けたことがない。見よう見まねで体裁だけ整えた作文。

半年続けると、変化を感じるようになってきた。まず、毎日に近いペースで届いていたヤリモク(ヤること目的)男性からのメッセージがほぼゼロまで激減した。
日記を覗いたときに真っ黒になるまで文字をびっしり並べる女にはちんこも立たないのだ。

嬉しい誤算に気を良くしていると、今度は中傷のメッセージが届くようになる。
『下手くそ』
『キモい』
『場違い』
『哲学を語るとかイタイ』
SNSの機能としてブロックをすることも出来るのだけれど、何もアクションを起こさなかった。
私は哲学なんて学んだことも触れたこともないので人違いかなと思いつつ読まずに(読んだけど)食べた。

程よく、浮いていた。
8割、9割の人が男女のアレをソレしようと目論んでログインしているのだから無理もない。
投稿した瞬間だけフワッと浮上したかと思うと、すぐに割り切りだとか援交だとかの書き込みに沈んでいくような日々。
それはそれで、心地よかった。いつの間にかスイッチを入れるきっかけになった男性に返信することも忘れるくらいに。

半年も続けると幸運なことに、似たような、いわばちょっと変わり者の人たちが徐々に反応してくれるようになる。
『小説を書いたらどうか』
『詩を書いたらいいのでは』
ありがたい助言も貰ったけれど、このまま居心地の良い便所で漂っているつもりだった。

そんなとき知り合った、恐らくちょっと変わり者の中でも相当の変わり者の人に、ちゃんと書いてみなさいと促され、
例えて言うなら泥だらけの裸足で歩いていた私に靴を履いてみなさい、と言うくらいのアプローチ。
どんな種類の、どんな色の靴を履くかも教えてはくれなくて、でも泥だらけの素足だけは一緒に拭いてくれた、そんな感じ。

ところがいざ書こうと挑戦してみても、私には小説も詩も書けなかった。
見たことのないものの一つも創造できない自分はさぞ変わり者氏をがっかりさせるだろうと、ちょっぴり悲しかった。

じゃあ自分の目で見たものは?
目で見たものだったら負けない(ところもある)(はずだ)(たぶん)(…たぶん)
自分の感性だけは信じられる。
あとはそれを表出していくスキルを磨くだけ。

たくさんのものを見て、人と話して生きていれば、ずっとずっと書いていける。
noteを始めようと決めたときに出会い系での文章はすべて非公開にした。

これからは文章は別のサイトで公開します、ご連絡いただけましたら引っ越し先はお伝えします、とだけ記載すると想像していたより多くの人から連絡をいただけた。嬉しい誤算、2回目。

まあそれでも出会い系SNSは辞めてません。慣れない靴を履いて暮らしていると、裸足で泥の中を走り回りたくなる日もあるからね。

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