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放っておかれるのは、放っといてって顔しているから(週報_2020_07_21)

つい先日、一人で遊園地に行った。

バカ真面目に自粛生活を送った際、昼夜逆転の不摂生が祟ったのか、私の顔には軽く引くほどの吹き出物ができた。
朝起きるたびに増える凹凸に、ついに私は降参し、皮膚科医を訪ねた。
遊園地は、クリニックの入ったビルの真向かいにある。

二度目の診察の日、処方された抗生剤と抗菌剤、クリームを持って開放されたままの自動ドアをくぐると、薄曇りのなかで緩やかに廻る観覧車が見えた。
初診の日にはたしか、休業していたんだんだよなあ。
私は薬袋の入ったビニールを片手に提げたまま、券売所前で検温をした。
手指を消毒するよう促され、手に持った袋を鳴らしながら入場すると見事なまでに閑散とした夢の国がそこにあった。

ぽてぽてと無目的に歩いていると、メリーゴーランド前で一組の男女がインタビューを受けている。
カップルがリテイクを食らうたび、どんどん「無責任な若者が無茶してる」像に寄せられていく姿をのっぺりとした顔で眺めていた。
診察があったため、今日は化粧をしないまま顔の大半をマスクで覆っている。

先端にもさもさのついた長いマイクを持っているスタッフの一人が視線に気付くと同時に、私はその場を離れた。
こんな、買い物帰りみたいな姿で誰かの期待通りの返答なんてできるはずがないでしょう。
どこまで歩いても各アトラクションごと、二人ないし三人の従業員よりもお客さんの方が少ない。

夕方のスーパーマーケットよりずっと空いている。
営業すれば営業するほど、赤字か。
園内を軽く一周し、今春なんていう最悪なタイミングでオープンした植物園のゾーンまで足を延ばした。

植物園は思っていたよりも規模が小さかったものの、素晴らしく手入れが行き届いていた。
出来すぎた生花は造花と見分けがつかなくなる。
なんて皮肉でなんて美しいんだろう。

じっとりと汗ばんだ額を手の甲で押さえながら来た道を戻っていると、先頭車両にだけ客を乗せたジェットコースターが頭上を通った。
何十分も前にインタビューを受けていた女の子が私に手を振っていた。
貸し切り状態のコースターを見上げたまま、私も彼女に大きく手を振った。



*****



整備された緑に触発され、ずっと放置していた裏庭の草刈りを業者に託す決心をした。
比較サイトのレビューを穴が開くほど読み込んで、格安でこそないけれど腕があり、かつ感じの良さそうな造園業者を選んだ。
裏庭には、二年近く出ていなかった。

当日、朝8時から腕の立ちそうなおじいちゃんとロン毛の若者がやってきた。
年寄りの方の職人さんに切ってほしい木を指定すると、ぱっと見ただけで「あれは楡の木ね」と言ったので俄然頼もしく思えた。
イマドキそうだと思った若者の方も、話してみれば腰が低くて好青年だった。

作業中、なにかあれば声をかけてもらえるようにと、いつもは開けないリビングのカーテンを半分開けたままにした。
腰に蚊取り線香のホルダーを提げた知らない男の人が二人、私の視界を右から左、左から右、と何度も移動する。
その間、ソファに寝転ぶわけにもいかず、私もまた室内を右往左往していた。

二年もの間、一切手を入れなかった裏庭は手強かったようで、作業は昼休憩を挟んで午後にまでずれ込んだ。
インターホンのモニター越しに、彼らが昼食をとっているのがわかると、私もほっとしてキッチンで立ったまま食パンをかじった。

早く帰ってほしい……。

Lの字につながったリビングとキッチン。
掃き出し窓の死角となるキッチンの床に、私はぺたりと座り込んでいた。
自分から呼んだくせに、罰当たりな願いを唱えながら。

二時間ほど暗いキッチンの隅に隠れているうちに、すべての作業が終わり、確認のために出てきてほしいと電話で声を掛けられた。
裏庭はたった二人、大きな物音も立てずに作業したとは思えないくらいに整然としている。
庭先で代金を支払い、冷やしたペットボトルのお茶を二本手渡すと、彼らは最後まで頭を下げながら帰って行った。
私はその様子をインターホンで見届け、ぴっちりとカーテンを閉めるとソファーに倒れ込み三時間ほど気絶するように眠った。

完璧だった、何の不満もなかった。
そして私はひと夏ぶんの社交性を、ここで使い切った。
今年、壊れたエアコンの修理はもう呼べそうもない。
どんなに逆さに振ったって、愛想笑いがもう出ないのだ。



*****



居眠りから目覚めたあと、すべて夢だったのかもしれないと裏庭を覗くと、間違いなく綺麗に掃かれた庭が存在していた。
それでも明日からまたカーテンを開けて暮らす日は来ないだろう。
私が先ほど払ったお金は、鬱蒼とした庭に不安にならないための保険料だ。
高かったのか、安かったのかは、わからない。

……今は練習。
お母さんが死んだら、本当に一人で生きていかなくちゃ。
誰にも頼らないで、一人で生きる練習をしなくっちゃ。
高いところの電球も、突如現れたゴキブリも、少しずつ出来るようになっていくほかない。
それでも手の届かぬところは、こうやって対価を支払って、その瞬間だけ見知らぬ他人の手を借りて。

私には誰も助けることができない。
だから誰かに助けてほしいなんて分不相応の幸せは求めてはならない。
依存心の強い子、昔からそう言われることが多かった。
でも大人になった今は、それを悟られない程度に「放っといて」なんて顔ができるから。

だから今、放っておかれているのは、正しい。
私の思うように、なっている。
さあ、また一人で遊園地へ行こう、誰とも言葉を交わすことなく。

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