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人間関係がある場

こんにちは、みちおです。

前回に引き続き、居場所について分解をしています。今回は、「人間関係がある場」です。

これは前回の「安心できる場」とつながってきます。

人間関係がある場

新型コロナウイルスは、みんなを一時的に孤独にしました。私もその一人です。一日中家にこもってレポートに追われ、友達と他愛のない話をすることもなくなり、新しい人との出会いも全くもってなくなりました。友達と話したいときにはわざわざ連絡をとって聞かなければなりませんでした。

「家」ではあります。雨風をしのぎ、快適に生きていくことはできます。でも、「居場所」では無かった。安全ではあるけれど、安心ではなかった。そう感じていました。

居場所は、「私はここにいていいんだ」という感情が芽生えるようなところだと私は考えています。一人ではそんな感情が湧くはずありません(私は家族と一緒に住んでいるのでまだマシだったとは思いますが)。そこには必ず他者、つまり人間関係が必要になります。人と関わることで自分の存在を認識できるんですね。

前回書いたように、私にとってはボランティア団体が小学生時代からの居場所の一つでした。しかし、前に付き合っていた彼女のように居場所が無いと感じるような子どもがいると知りました。そしてそれは歪んだ承認欲求になる。さらにそれはサイクルとなって次の世代に引き継がれる可能性がある。子ども時代の環境というのは、それだけ人間形成に大きく関わっているのだと感じました。それはあまりにも酷だと思いますし、それによって私のように被害を受けるような人がいるかもしれません(彼女のせいにするのではなく、彼女のいた環境に問題を感じています)。

これらを踏まえて、人間関係のある場について考えたいと思います。

前回の「安心」と合わせて、このように考えました。

周りの人たちがわたしの存在を認めてくれていると感じている、その安心感からわたし自身もその人達のためになにかをしたくなる、なにかするとその人たちに貢献したと感じ、自分が更に認めてくれていると感じられるようになる、といったサイクルです。

そのためには、まずはその環境の中で私自身が他の人を認め、仲間はずれを作らないことから始まります。そのため私自身、今の場所を居場所に感じていなさそうな人には声をかけるようにしています。

まずはこうした居場所の存在をつくることが、わたしにとってしたいことであり、できることだと感じています。

次回はこれらを踏まえて「できる」について考えていきたいと思います。

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