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謎の猫神社

 高知県中部にある須崎市。雄大な太平洋を望む町に、なんとも不可思議な神社がある。
 その名は「猫神社」。地元でもほとんど知られていないが、文字通り猫が神として祀られている社だ。
 人口約2万人。小さな漁港が点在する海辺の町で、なぜ猫が信仰を集めているのか。愛犬マイヤーを連れて現地を訪ね、その謎に迫った。 

知られざる猫の聖地


立派な鳥居に掲げられた扁額

 須崎市中心部から車で約10分。猫神社は、須崎湾沿いの細い道が行き止まりになる箕越という集落にたたずんでいる。木造の社は高さ2メートルほどあるだろうか。注意していないと見落としてしまうほど質素だが、正面には立派な鳥居が建ち、「猫神社」の扁額が掲げられている。
 扉の隙間から内部をのぞくと、そこにはなぜか両手を上げた招き猫が。社に賽銭箱はあるものの、その由来を書いた看板などはどこにも見当たらない。社は海に面し、波打ち際まで3メートルと離れていない。湖と見まごう静かな海を、何隻かの漁船が行き交っている。

社の前に広がる海。遠くに市街地が見える。

 この集落には小規模な造船所があり、背後の山のすそに数戸の民家が張り付いている。だれかに尋ねようと思ったが、人の気配はなく静まり返っている。日曜だから、造船所も休みのようだ。仕方なくほっつき歩いていると、悪そうな野良猫が寄ってきて「ニャーゴ」と鳴いた。

猫神社近くの造船所。集落には人の気配がない

 再び社に戻ってみる。建物自体は丁寧に造られており、どこにも痛んだところはない。なにしろ海が近いから、潮風は遠慮なく吹き付ける。それでも状態が良いのは、だれかが大切に手入れしているおかげに違いない。
 後で聞いたところによると、猫神社を管理しているのは箕越集落のお年寄りたちだという。神社といっても、ほとんど訪れる人はいない。たいして賽銭が集まるとも思えず、みんなが手弁当で支えているのだろう。
 愛犬マイヤーは猫神社よりも、野良猫が気になって仕方ない。不遜にも社に背を向け、遠くからガンを飛ばす猫をにらんでいる。なにしろ神聖な神社だ。猫の聖地とも呼べる場所で、もめ事を起こすとばちが当たるかもしれない。


野良猫に気をとられる愛犬マイヤー

神社の主は赤毛の大猫

 それにしても、この神社の正体は何なのか。ネットをあたってみたら、須崎市観光協会のホームページに「猫神社」を紹介する簡単な記事があった。祀られているのは高知県吾川郡吾川村(現・仁淀川町)から追放された赤毛の大猫で、神社にお参りすると、ぜんそく治療に効果があるそうだ。
 これだけではよく分からない。他の情報も参考にした結果、須崎市史に神社に関する詳しい記述があると知り、さっそく図書館で閲覧してみた。
 記事はすぐに見つかった。
 市史によると、問題の大猫は昔、吾川村の寺で飼われていた。遊び好きの猫は毎夜、飼い主の和尚の衣を着て僧侶に化け、仲間と一緒に河原で踊っていたが、悪事に気づいた和尚が激怒して追放。猫は流れ流れて須崎の箕越にたどり着いたのだという。
  どうやら相当のワルだった大猫も、長年飼ってもらった和尚への恩は忘れなかった。追放後、寺の近隣の領主が死んだ時、なぜか棺を運ぶことができなくなったが、大猫が和尚に手柄を立てさせるため霊力を発揮。和尚がお経を詠んだ途端、棺が軽々と動いたそうだ。
 追放されても和尚を慕い続けた大猫は、やがて寂しく死んでしまう。箕越の人々は寺に帰ることができなかった大猫を哀れみ、神社に「猫神さま」として祀った。これが猫神社の由来なのだ。
 市史は猫神社を参拝すると「諸病、特に婦人の病や脳病に顕著な後利益がある」と記している。「女性が海でおぼれた猫を救ったら、ぜんそくが治った」という記述もあった。

赤毛の大猫もこうやって踊った?

人間と動物の絆は永遠に

 

この道を赤毛の大猫が歩いた

 市史に取り上げられていながらも、猫神社がいつ建立されたかははっきりしない。市史が発行されたのは1974年だから、少なくとも50年以上前から存在しているのは確かだ。
 須崎市内の80代の女性は「私らは昔から猫さんとか、猫神さまと呼びゆうがです。ぜんそくが治るゆうがは、猫がゴロゴロのどを鳴らすのと、ぜんそくのせきが似ちゅうからじゃないろうか」と話す。
 地元の箕越の人ですら、猫神社の由来は分からないという。須崎市は昔から沿岸漁業が盛んで、多くの漁師が「須崎の魚は高知県で一番うまい」と自慢する。
 漁業で生計を立てる漁師は、魚が獲れなければ生きていけない。一方の猫は魚が大好きで、漁港ならどこにでもいる。水揚げの多い港だと、野良猫が集団で住み着いているほどだ。
  もしかしたら、箕越の人たちは身近な猫に親しみを感じ、豊漁の願いを込めてささやかな猫神社を建てたのではないか。病気治癒を祈るよりも、まず安定した水揚げと安全を猫の神様に祈願する。そう考えた方が自然な気がする。
 人間と動物は深い絆で結ばれている。コロナ禍では、息苦しい生活の中で、多くの人たちがペットの猫や犬を買い求めた。猫神社の背景にあるのは、物言わぬ動物に対する人々の愛情と慈しみなのだ。
  猫神社はこれまでにも、地元の新聞やネット上に何度か登場したそうだ。しかし、場所が分かりづらいことや、交通の便が悪いことから、今はほとんど忘れ去られている。
 須崎市は人口減少と高齢化が著しく、25年後には自治体として成り立たなくなるとされる。猫神社がある箕越も、やがて無人の集落になる可能性がある。そうなれば、社も放置され、やがて潮風に朽ちていくのだろう。
 

猫神社の社に収められた招き猫。人々が
豊漁を祈ったのか








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