高知の伝統料理「カツオのたたき」を作ってみた
高知県の夏の味といえば、やはりカツオである。私も幼いころから食べまくり、黒潮の息吹を体内に取り入れてきた。とくに「たたき」が大好きで、宴会ともなれば必ず用意した。しかし、鮮度が落ちやすいカツオは、どこでも手に入るわけではない。以前、京都の居酒屋で注文した時は、あまりのまずさに絶句。「おまえら、客をなめとんのか」と、思わず暴動を起こしかけた。今夜は旧友と3人で飲み会がある。どうせなら自分たちで料理しようと決意し、中土佐町の久礼漁港に走った。
食材と道具を調達
久礼は県内屈指のカツオ船の基地だ。「久礼獲れのカツオ」は高級品として知られ、土佐の酒飲みの心をがっちりつかんできた。目の前は黒潮が流れる太平洋。ロケーションからして、まずいはずがない。ここらは野良猫でさえグルメで、下手な魚をやろうものなら「わやにしなや。こんなもん食えんき、捨てちょいて!」と怒るほどだ。
そんな久礼の一角に「道の駅なかとさ」がある。すぐ隣は漁港で、毎日カツオが水揚げされている。
地元の特産品を扱う店に入ると、氷の中でゴロゴロしているカツオが目に入った。1匹2000円。さばくのが面倒だから、切り身を買う。3節で1500円。この鮮度を見よ。皮と実がキラキラ輝いているではないか。
次は道具をそろえなければならない。カツオのたたきは表面を焼くのだが、ガスこんろでは話にならない。ここは、昔ながらのワラ焼きでいこう。
友人のヒロシ君の家に行き、錆びついたバケツとワラ1束をもらった。
バケツの中にワラを突っ込み、燃え上がる炎でカツオを焼こうという段取りである。高知の魚屋や名の通った料理店では、今でもこの調理方法が主流なのだ。
カツオの味にうるさい土佐人は、伝統的なワラ焼きでなければ満足しない。フライパンで焼いたりすると、途端に不機嫌になる。
2人して道具を車に積み込み、私の家に向かった。愛犬マイヤーは「親方、何を始めるの」と、見慣れないワラのにおいをかいでいる。
いよいよ調理に入る
まずは下準備である。ヒロシ君は地面にバケツを転がし、たがねを使って側面にいくつも穴を開けた。この穴が通気口になり、ワラをまんべんなく燃やすのだ。
金網も持ってきた。火がついたら金網にカツオを並べ、一気に焼き上げる。後は冷水に入れて身を引き締め、おいしく食べればよい。
次はカツオに移る。パックから切り身を取り出し、塩をまんべんなくふりかける。これで下味がつくし、焼いた時に身の崩れを防ぐこともできる。準備は整った。後は焼くだけだ。
ヒロシ君は庭にバケツを置き、ワラをひとつかみ突っ込んだ。いよいよ点火だ。燃え上がる一瞬を逃さず、金網に載せたカツオを突き出す。
実はヒロシ君も私も、ワラ焼きの経験がない。ワラの火力は案外強い。やけどしたらヤバい。ヒロシ君は少々逃げ腰である。
ここまでは順調だったが、なぜか火が消えてしまった。バケツのワラはくすぶり、あたりに煙が立ち込める。場所が庭だから、遠くから見たら火事と勘違いされかねない。
もし消防車が来たら、どうするか。
「おまんら、どういたが?」
「すまん。カツオのたたきをやりよった」
きっとシバキ倒されるだろう。高知新聞は「素人の暴走で火事騒ぎ」と、書き立てるだろう。カツオでなく、自分たちが、たたかれていれば世話はない。
一度始めたからには、やり遂げる。間髪入れずワラを足し、カツオが入っていたトレーを「うちわ」代わりにしてあおいだ。
今度は成功した。炎が高く上がり、カツオを直撃している。思わず笑みを浮かべるヒロシ君だが、ここで計算違いが発覚する。
あまりに火力が強く、金網を支えていられないのだ。
「こりゃたまらん。手が熱いぜ」
悲鳴を上げる彼に、皮の手袋を渡す。
ここまで来たら、命がけである。
炎は生き物のように動く。カツオがジリジリと焼ける。何だか香ばしいにおいがする。私はバケツから遠ざかり、熱気を避けた。
「いける、いける。しっかりやれ!」
遠くで声援を送ったら、ヒロシ君の目が険しくなった。
そして宴会。カツオで飲み倒す
焼けた切り身のうち、2節は氷が入った冷水にくぐらせて水分を取る。もう1節はそのまま冷蔵庫で冷やす「焼き切り」にした。
たたき文化に詳しいヒロシ君によると、2通りの調理方法は昔からあり、人によって好みが違うそうだ。
カツオを焼く方法では、「炭俵を使うのがいい」とも言われていたとか。
不要になった炭俵の入れ物を石垣に立てかけ、そのまま火を点けたのだという。炭俵はカヤやワラで編まれている。土佐人は、カツオをおいしくいただくために知恵を絞っていたのだろう。
いよいよ宴会だ。冷蔵庫に入れておいたカツオを厚く切り、皿に並べる。たっぷりのニンニクとタマネギ、シソ、ネギを放り込み、カツオが見えなくなるまで盛る。
これが土佐流の食べ方である。県外の飲み屋に行くと、薄く切られたカツオを申し訳程度に並べ、高い値段を付けているのを目にする。そんなチマチマした食べ方は邪道だ。どうせなら、豪快にやってほしい。
カツオの味は濃厚で、魚というより肉に近い。そこにユズ醤油をぶちこみ、酒と一緒に一口で食べる。薄い切り身など論外だ。皿に置いた時、ピンと立たないようでは失格なのだ。
宴会には旧友のコウジ君も参加した。
彼は調理に加わっていないから、私らがいかに苦労したかをしつこく話した。まさに、友情のもてなしである。3人でおもむろにビールを飲み、カツオのたたきを食べてみる。
うまさは最初の一口で分かる。新鮮なカツオは全く臭みがない。力強く、さわやかで、しかも味わい深い。ワラの炎は、カツオに薫香を与えていて、刺身とは違う特性がある。
今回の具はすべて、ヒロシ君と私が育てた食材を使った。
久礼獲れのカツオに、自らが手をかけた食材。これ以上の料理がどこにあろうか。私たちはビールと焼酎をガンガン飲みながら、カツオのたたきを食べ続けた。
あぁ、幸せだ。高知に生まれてよかった。言葉にこそしないが、3人の思いは同じだ。
カツオはまだまだ揚がるし、残ったワラもある。近いうちに、またカツオのたたきを作ってみよう。
今や、われわれは「たたきのプロ」である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?